小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

春告げる花、梅のこと

2020年02月13日 | エッセイ・コラム

梅の花はもちろん春の花だ。今となれば、桜に主役の座を譲ったが、それは江戸時代の頃だったか。万葉集においては、梅の歌が119首ほどもあるという。歳時記を繙けば、「春告草、野梅、白梅、老梅 梅が香、梅園、梅月夜・・」など数多くある。

その季語としての本意は、「香気高く、花の姿でも最も重んぜられた花」であり、「桜と比べて、風雅の好みが一段と濃い」と解説されている。それに続いて、芭蕉の名句が引用されるのは、どの歳時記も同じ。

梅が香にのつと日の出る山路かな

山里は万歳おそし梅の花

その他、芭蕉の面白い面いやユーモアではなく深遠とさえ深読みできる、こんな梅の句がある。

手鼻かむ音さえ梅の盛りかな

梅の盛りの頃には、手鼻でかむ音までも快い、というのだ。普段なら不快な手鼻の音が、梅の気品や風雅によって浄められる。坪内稔典氏によれば「手鼻が梅の本意に染まるのでなく、梅もまた手鼻に染まってしまう。本意の俗化が生じるのだが、そのことで梅の本意は新鮮で意外な一面を示す。『梅には手鼻も合う』ということの感動や認識がここにはあるのだ」と、日本独自の文化あるいはエートスの神髄にふれる感慨をもった。

▲▼谷中墓地の片隅で。

▲梅の咲きかたの形容で「ほつほつ」というのがある。これがそうか・・。

芭蕉を出したからには蕪村のものも一句。俳人になる前には画家でもあった彼の、モノの見方、目のつけどころが凄い。

寒梅や火の迸る鉄より   (寒梅や火のほとばしるまがねより)

長谷川櫂氏の解説を引用する。「寒中の梅。それは鍛冶屋が打つ真っ赤に焼けた鉄から飛び出る火花。寒の冷たさと火の熱さが激しく交わって寒梅は開くというのだ・・鉄骨という梅の技の画法があるらしい。それを発想のもとにしている」と、書いてあった。


▲谷中霊園の梅。毎年2月初めに咲き、梅には思えない高木となった。今年はメジロが来ない。

近代になってからの俳句ならば、中村草田男の潔いこの句が好きだ。  勇気こそ地の塩なれや梅真白

石田波郷のそれは、作句の姿勢に凄みを感じる。視点が日常を超える。 梅の一枝死者の仰臥の正しさよ

永田耕衣もまた、俳人としての生き様、あり方を強く感じさせる。   母の死や枝の先まで梅の花

まったく知らない新田祐久という俳人。見倣うべき何かを感じる。   青天へ梅のつぼみがかけのぼる

 

最近、井上井月を読むようになった。江戸から明治の世に、山頭火や放哉のように孤高、漂泊を主題とした放浪俳人の先駆者であった。その数奇なる生涯はしかし、芭蕉の精神を承継するものであり、その作風は、山頭火らの自由律とは違い、有季定型であり正統だといえる。驚くことに、桜はもちろん梅を詠んだ句も多い。いつか、新たな稿を立てて「井月(せいげつ)」の俳句にふれてみたい。

 

番外:初めに載せた梅の木のそばに咲いていた花。低木の梅に寄り添うように咲いていた。

梅の花の近くに咲いていた不詳の花、妻も知らないという。


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