小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

あべちゃんは、どこにいくんだろう。

2015年07月05日 | 国際・政治

 

「ペンは剣よりも強し」この格言は、言葉は権力よりも強いという意味だ。武力よりも言論のほうが人々の心に訴え、支持をえる。言葉の表現力は、社会を変えるほどの力を持っている。

かつてナチスはそうした言葉の力を利用し、プロパガンダを駆使して国民の支持をひろげた。国内ポピュリズムの地固めをしつつ、ナチスは科学の粋を集めた強力な戦力によって近隣諸国を侵略し、国富を増した。
そのナチスの核心的な表現は「生存権の確保」だった。第1次世界大戦の経緯やベルサイユ条約の内容、また戦後ドイツの国内事情についてここではふれない。
そう、ドイツ国民のすべてが疲弊し、生きる希望を失っていた。ヒットラーが熱情的にうったえる「生存権の確保」は、ドイツの国民に光明を与えただろう。そして東欧への侵略、フランス占領、ソ連侵攻の確固たる口実ともなった。

わが安倍ちゃんも「生存権の確保」ほどの切羽詰まった表現ではないが、似たような心揺さぶる言葉を好んでつかう御人である。
いわく「来たるべき存立の危機に立ち向かうことこそ使命」的な、「美しい日本、強い日本を、とりもどす」、「日本独自の伝統文化をまもる、平和な国家、愛する家族を守る」なんたらかんたら。人権よりも生存権のほうが重いんだぞ。表現の自由よりも、生存権が上だぞ、と飛躍した論点ずらし。

とにかく立派な表現、お題目が好きなようである。しかし、これらの抽象的な表現につづいて、実際の具体的な行為・事象を説明する段になると、同語反復や曖昧な表現を使って歯切れが悪くなる。ほとんどが官製用語で意味を確定するような表現はない。また、全く正反対の意味の言葉を使って、自らの真意を有耶無耶にするテクニックも使う。

代表的なことばが「粛々」だ。これは相手に敬意をはらい、厳かに、謹んで事をはこぶという意味。葬式などでよく使われる言葉だ。安倍ちゃんが政権をとって国会答弁でよく使っていた。
最近では家来の菅ちゃんが、例の辺野古基地建設を強引にすすめる際、「決定したのだから粛々とすすめさせていただく」と宣った。沖縄知事はじめこの用語の無神経さに怒り、抗議して、政府は陳謝・訂正をした。

ここでなぜ、安倍ちゃんはじめ側近たちがこのような言葉づかいをするのか、私の「自問自答」の一環として考えてみたい。

安倍ちゃんについて単刀直入にいえば、お坊ちゃま気質がまだ抜けず「威張りたい,誉められたい」という心理があるからだと思う。
祖父岸信介と一緒の少年時代の写真を見たことがある。おじいちゃんを見る目の誇らしげな安倍少年が印象的だった。

かれは子供の頃から、岸や佐藤栄作から直々にいろんなことを吹きこまれたはずである。恵まれた環境というか、凡愚のわたしには想像を絶する境遇である。
佐藤家のこと。日米同盟の礎。ノーベル平和賞。総理大臣とは。なんたらかんたら。岸からは、次男坊で養子に出されたことや長兄は一番の秀才で陸軍大学卒で戦争でお国のために亡くなった・・。戦犯になったが、アメリカがこの私をほっとけなかった・・などなど。
実父も総理大臣候補であったし、「おまえも総理大臣になって、お国の為に立派なことをやらんとな」ふうなことを、家族の誰からも言われたのではないだろうか。

少年としては相当なプレッシャー・「抑圧」である。それを克服するには期待に応えるしかないが、安倍ちゃんはそれをやった。晋三くんはえらい、立派なのだ。かれのお友達も彼を支え、その尊大さを陰で助長しているようだ。
しかし、その自信が何かで崩れ、祖父たちの抑圧が表面化することもある。
第1次安倍政権のとき、安倍ちゃんは「お腹の調子が狂って退陣」されたことがあった。(実際にはアメリカからの予想外の反発)

その原因は、「抑圧」からくる「心因」であるとされた。心理学者の精緻な分析が待たれている。
安倍ちゃんは「ピーターパン症候群」とまでは言わない。が、国会答弁で明らかなようにトートロジー的な繰り返し、強調のために同語反復するだけの言葉づかい、持って回った言い回しの多用など、政治家としては稚拙であり人間としての狭量さがあらわだ。

わたしが安倍首相を「安倍ちゃん」という根拠はここにある。

彼の改憲をめざす理路はストレートで明快である。


●現憲法はアメリカが押し付けたものだ。だから矛盾だらけだ。
●自衛隊は「戦力」なのに、憲法9条ではそれは否定されている。
●それは「ねじれ」である。
●普通の国は自衛のために軍隊をもち、有事の際には武力を行使するのは当然のこと。
●現実にあわせて憲法を改正するのが本来である。
●いま、世界情勢をみるにつけ急を要する「存立危機におちいる状態」が目前に迫っている。かのような印象がつよく感じているところだ。
●まず改正はおいといて、解釈を変更して集団的自衛権を行使できる法案を提出します。

この明快な理路が破たんしていることを、明快に指摘し誰にでも分るように解説してくれるひとはいないだろうか。憲法学者が法制度上の枠内で思考し、「違憲論」を訴えても、権力は粛々とやってのけるだろう。

あの内閣法制局長官の人事、会期延長の小賢しい演出、選挙年齢を十八歳に引き下げるなど、やることなすこと安倍ちゃんのブレーンは相当手ごわい。

→(安倍ちゃんと同じような単純な理路で憲法を護る人たちもいる。この人たちはある大きな事実を捨象して、現実を判断している。九条を世界遺産に、という脳天気な人たちまで現れた。他人のことはいい。自問自答を深化させねば・・。)

  

 

 

 


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