小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

軍隊の管理はだれに任せるか

2018年09月05日 | 国際・政治

 

防衛省は先日、男性自衛官に限っていた海上自衛隊の潜水艦の乗組員に女性自衛官の起用を検討すると発表した。

潜水艦の隻数も増えることから、優秀な人材を男女差なく確保したいとのことだ。必要な訓練を経て、数年後の配置を目指すとともに、女性用の部屋やトイレを確保した上で教育・訓練をする予定らしい。

2,3週間前にも、航空自衛隊では初の女性戦闘機パイロットが誕生したニュースがあった。いずれも、男女共同参画基本法に基づく、女性自衛官のさらなる活躍を期待する新しい動きといえようか。

最近は,女性差別やセクハラなどの話題が引きも切らずだったので、男社会の権化ともいうべき自衛隊に、特殊技能が求められる幹部クラスに女性が登用されるのは画期的である。まさかというべきの愕きといっていい。

とかく男は面子や体面にこだわり、男特有のヒロイックな行動に傾きがち。現状把握能力が求められる実際の戦局において、リアリスティックな女性こそ適任ではないか、と私は密かにおもっている。防衛省内でも、冷静に適正などを分析したら、あらゆる面において男より女の方が優れている。そんな実態やデータが確認できたのかもしれない。

先の戦争では、参謀本部はもちろん前線の指揮官は、帝大以上の知力優秀な人材で占められていた。しかし、その卓越した頭脳が邪魔したというべきか、現場無視の机上の空論で作戦を指令し、ことごとく実戦は負け戦となった。

「負ける戦いは絶対に避ける」という孫子の兵法は、現代にも生きているのだ。日米決戦なぞ笑わせる。負けると分かっている戦力と、食糧は現地調達という兵站。そんな「失敗の本質」を内包する戦略で開戦するなんて狂気の沙汰だったのだ。

彼らを支えたのは何か。実体のない「大和魂」だ。すなわち軍神力頼み。つまり、天皇がもつ軍事的権威=御稜威(みいつ)にすがる指導者たちの精神性は、男がもっている攻撃的で暴力的な傾向を補強し、「弱み」をみせない狡猾さ、その後ろ盾にもなったのだ。

なにが言いたいかというと、自衛隊という組織にも、女性の指導者がいてほしいのである。「失敗の本質」に学ぶ、謙虚にそのことを受け入れれば、女性こそふさわしいという結果が見える。

客観的に現状を把握する能力、高所から俯瞰して全体を把握する能力、戦局に応じて後退、調停(敗戦を見極める)を見据えた決断力などは、男性よりも女性の方がふさわしいのではと考える。

『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリもそんな考えの持ち主で、男女のホルモン系と認知系の最新の研究を踏まえれば、「戦争の管理」においては女性の方が優秀とのことであった。


さてさて、以上は思考の遊びにちかいが、真面目な「戦争への考察」である。

実際のところ、過去には、稲田何某という女性が防衛庁のトップになったこともあった。しかし、彼女が「戦争の管理」のエキスパートだったはずはなく、いわば安倍首相の傀儡であったことは、衆目が一致するところだった。

男の言いなりにはならない、「軍隊」さえも任せられる本物の女性が現れるのはまだ先のことだろう。だが、そうした分野にまで、女性が勇躍するのは間違いない、と私は考えている。そして、最終的に「軍隊」を消滅させられるのも、女性しかいないのだ。




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