小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

ツマビラカ 

2015年06月11日 | 国際・政治

 

夕刊にあった穂村弘の記事がおもしろかった。学生時代に、写真を撮られるとき少しでも目を大きく見せたいがため、ぱちっと見開いた。後でその写真をみた瞬間、激しく後悔したらしい。「少しでも目を大きく見せようとしてぱちっと見開いた」ひとが写っていたからだという。「自分のささやかな欲望が外から丸わかりなるのは実に恐ろしいことだ」と穂村弘は書いている。

まだ、わたしは「老後の自問自答」を書こうとしている。自分の能力にあり余ることをやろうとしている。300名ほどの憲法学者がいて、彼らが全生涯をかけて研究・研鑽を積んでいる憲法について、わたしが何をどう書こうというのだろうか。もう当たって砕けろしかない。恥を知ることは覚悟のうえだ。自分なりに書き残すことはハッピーだと思った、それだけの理由。自分の存立基盤がなんたるかなんてものではなく、自分がどうしてもやってみたいという感情だけなのだ。ただし、穂村弘が「実に恐ろしいことだ」と慨嘆したごとく、ここに書いたものが自分の愚かさを丸だしにする結果に終わる可能性は大である。もういい、少しづつ、間歇的にでもはじめよう。

とりあえず、なぜそうなったのか・・。政治家の資質とはなにかを考えていた。

 政治家という職業は、まず「言葉」をつかう人だ。広範な知識と深い洞察を駆使して、今の社会になにが求められているか、そのための最善の方法と手段を、私たちに分かりやすい「言葉」で説明してくれなければならない。ひとに何かを問いかけられたら、その内容を咀嚼し、意味を吟味し、その問うた理由の背景をも推量したうえで、充分に納得しうる内容を提示して返答する。相手が合理的な反論をしたら、違う見方や方法を提示して自説をさらに幅広くしめし、より良き議論に発展するように腐心する。できうるならば、未来の確かなイメージを「言葉」で率直に語ることができるひとだ。

私にとって政治家のありうべきイメージとはこんな感じだ。

わが安倍首相はどうか? すくなくとも問いかける人に対して誠実に答えようとする配慮はないらしい。自説をはやく述べたいがために、質問者の持ち時間さえ無駄におもえるのか「はやく質問しろよ」と、感情を剥きだしの野次を吐く。民主主義政治の議論の場としての厳粛な、開かれた「場」として国会の意味を理解されていないようである

 

これが如何に政治家としての資質の欠如にあたるかを、彼の周囲に諫言する方はいないらしい。そんな政治的環境は、全世界的にみても恥をさらす状態といえよう。少なくとも「国会」を英語でどう表記するか、その語源や意味など考えたこともないのではないか。結局のところ、日本の多くの政治家は、万人に通用する規矩をもたず、仲間内だけに通用する物差しや都合によって言葉を使い分けている人たちだと思われる。(もちろん、そうでない方も大勢いらっしゃるだろうが、そのようにしか思えないのが今日的な政治家像なのである)

そして、わたしの自問自答の直接の起因とは、これだ。

わが安倍晋三が国会で「ポツダム宣言はツマビラカにしていません」と宣ったこと。そのことについてマスコミの多くが、事の重大さを詳(つまび)らかにしなかったことだ。(反面、ネット検索は集中したらしい)なぜこのようなことがまかり通るのか。

第1次安倍内閣のとき、彼は「戦後レジームからの脱却」を高らかに謳って支持をあつめた。

レジームとは、フランス革命以前の国の体制のことを「アンシャン・レジーム」といったように、「秩序体制」のことを「レジーム」というフランス語だ。日本における「戦後レジーム」とはふつう第二次世界大戦後に出来上がった世界秩序の体制(ヤルタ・ポツダム体制=YP体制)や制度のことをさす。

ポツダム宣言のなんたるか知らずして、「戦後レジーム」を語ることなかれだ。安倍ちゃん(以降彼のことをこう呼ぶ。その理由は後で)は、「戦後レジーム」の肝心要を知らなかったことになる。
彼が語る政治ポリシーなるものは、威勢の良い言葉で語られるのだが知性というものを感じさせない。確たる哲学もなく、言葉多くしてまったくの無内容なものといえよう。(アメリカ議会で彼の演説は大喝采を浴びたが、その内容ではなく、戦争や戦費を少しでも肩代わりしようという歴史的マニフェストであったからだ。官僚の誰が書いたのか?)

とはいえ、かくいう私もポツダム宣言をきちんと審(つまび)らかにしたことはなく、天下の総理大臣を批判する資格はないと告白する。ただ、私は自戒するしスルーしようとは思わない。

そんな折、新聞に「ポツダム宣言」の全文が掲載された。概要は知っているつもりであったが、明治時代の法律、条約などの文章のごとく漢字・カタカナ混じりの古臭く厳めしいだけの文章だった。原文は英語であるに違いないだろうが、まさか時代がかったものという認識はなかった。(明治初期から戦中まで、官僚的文体、用語は普遍的な厳格さで踏襲されている。それが現在まで継続されているのは不適切ではないのか。特に、外国語の条約等は現代語で再翻訳しオーソライズするべきだと考える)

 

全部で13項目あるが、どんな体裁の文章であるかご存じな方は多いだろうが、確認の意味で最後の項目だけを記してみる。

「十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス」

以上の文の現代語訳は下記の通り。(安倍首相の発言後、ポツダム宣言の全容についてのネット検索が凄かったらしい。この翻訳もその中のひとつであるが、ベストとはいえない)

「我らは日本国政府がただちに日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、右行動における同政府の誠意によって適正かつ十分な保障を提供することを同国政府に対し要求する。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅があるだけだ。」

そもそも 「ポツダム宣言」は1945年7月26日に、アメリカ、イギリス、中華民国(蒋介石)の3国が、日本に対して戦争終結のための条件を提示したもの(無条件ではない)。

日本は黙殺したが 8月6,9日の原爆投下 8月8日に不可侵条約を締結していたソ連が一方的条約を破棄し満洲等に侵攻した。8月14日に日本は受諾し、翌15日に天皇の玉音放送があった。日本ではこの日を「終戦」としているが「敗戦」として位置付けるのが正確である。

1945年8月15日を終戦記念日として定めたのは1963年、池田内閣「全国戦没者追悼式実施要項」によるもの。

正式名称は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。 これは1983年、鈴木善幸内閣のときに決まった。つまり、「終戦記念日」呼称の歴史的な修正があったことを銘記されたい。

それゆえ世界史的にみると、8月15日は「敗戦決定日」であり、「終戦の日」は戦艦ミズーリの甲板上で重光外相が調印した9月2日が正確だろう。よって、この日より1952年のサンフランシスコ条約の締結の日まで連合国のアメリカGHQに日本は占領されてい、国民国家としての主権は奪われていたというのが正しい理解だとおもう。

この一連の事実認定が間違っていたり、自説を展開するにあたって捻じ曲げている識者も多い。「ポツダム宣言」を自分なりに読み解くのは正確ではなく、独りよがりといえども為になったし面白かった。

つまり、この敗戦と終戦の違いしても、論者によって捉えかたが異なる。特に、「無条件降伏」は日本国軍隊にのみ適用され、日本国ならびに日本国民をさしてはいない。わたしの家族は「日本人すべてが無条件降伏した」ものと思い込んでいた。占領中のアメリカは、こうした日本人の心象・思い込みをうまく利用した。これらの歴史的な事実の理解はむだにならないだろうし、わたしにとっては意義ある発見があったが、素人でもあり、こうした事実確認はこのブログには適さない。もっとマクロにやろうとおもう。それにしても、ツマビラカの先はながい。

 

 

 

 

 

 

 

 


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