小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

一言でもいえること

2018年02月13日 | 日記
  排泄すら自分で自由にできない杢太郎という少年がいた。胎児性水俣病という「病名」をつけられていたが、チッソという一企業が海にたれ流した水銀の毒による公害である。この家族の内情というかあらましについて、私には説明する勇気という力がない。 少年の世話をしたのは祖父母である。 じじもばばも、はよからもう片足は棺にさしこんどるばってん、どげんしても、あきらめて、あの世にゆく気にならんとじゃ。どげん . . . 本文を読む