鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

67 浄土の冬枯

2018-12-13 09:03:22 | 日記
---枯岸に鳥が眼瞑る偽浄土---

(永福寺跡の池)
我が探神院の隣の、頼朝が建立した永福寺跡の池が最近復元された。
ここはは宇治平等院や平泉の毛越寺を模した浄土式庭園の礎石や立石が遺り、池越しに西方阿弥陀浄土の楼閣を望む様式だ。
しかし毛越寺庭園のように美しく復元されると思っていた私が愚かで、結局ただの西洋風の舗装された公園になってしまい浄土の影も形もない。
調査と称して20年も毎年掘ったり埋めたりしていたのは何の意味があったのか。
まあ頼朝の志や鎌倉時代の人々の浄土への憧れなどを、今の役所や造園業者に観想せよと言ってもそれは無理なので仕方ない。

思えば思想史上のパラダイスやユートピアは幻想を抱いては幻滅の繰り返しで、それでも人類がめげないのは生死もまた繰り返すからだろう。
そこから学ぶべきは楽土浄土の建立は社会的に為す事は不可能で、個人個人で具現化する物と言う事だ。
そうは言いつつこの浄土の成れの果ての枯草にも陽は射し、安寧のひと時もある。


別の場所での旧作だが、
---枯園の女神の像に薄日さし 今年最後の蝶の息づく---
荒寥とした楽園の終末の景は如何にも隠者に相応しく、女神像を菩薩像に変えれば東洋的な景にもなるので気に入っている一首だ。
SFに近い発想をすると、遥かな未来の極楽浄土さえ枯れ果て荒廃した後にも希望はある。
56億7千万年後に訪れる未来仏、東方弥勒浄土だ。
弥勒信仰は余りにも気の長い話だったので、即効性のあった阿弥陀信仰ほどは流行らなかった。
永福寺の東方に当る我が探神院の裏山で、この弥勒信仰の経塚が発掘されている。
56億7千万年後は我家の裏が浄土になる予定で楽しみだ。

©︎甲士三郎

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