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(古端渓硯 清時代 探神院蔵)
パソコンの普及ですっかり文字を手書きする事が減ってしまった。
私も詩句歌の短冊色紙を書く時に大分漢字を忘れているので、出来るだけ墨書の機会を増やそうと思う。
昔の文具四宝とは墨硯筆に料紙の四種を言う。
この中で墨筆紙は消耗品だが硯は何千年でも生き延びる。
私は日本画家なので若い頃から良い硯を見つけたら買うようにして来たが、もっと昔は画人より文人の方が硯にこだわっていて、川端康成始め鎌倉文士達も古硯のコレクションを競っていたようだ。
明治大正昭和の文士達に人気があったのは何と言っても古端渓硯で、特に清朝時代の彫刻のバリエーションの豊富さはコレクションしたくなるのが良くわかる。
また赤褐色の地に墨が染み込んだ風合いは古格があって重厚な知性を感じさせる。
この硯を使うと昔の鎌倉文士の気分になれて楽しい。
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(小型端渓硯 清時代 探神院蔵)
今流行の書はバケツ一杯の墨を使って、ショーアップしたアクションペインティングのように書くので墨汁や電動墨摺機を使う事が多く、昔ながらの硯墨使用は小品の時に限られる。
また現代の書家の作品の市場価値が低いのはほとんどが自分の詩を書かなくなったからで、逆に書としては下手でも作家の書や手書き原稿は高価で売れている。
言うまでもなく書画において技術は重要だが心情や精神性は更に重要で、最も心を表現できる詩句の自作を捨てた現代書道は私には理解し難い。
古硯古墨で短冊などに句歌を書くのは如何にも地味で現代的とは言い難いが、自らの楽しみとして無心に墨と戯れる時間は貴重だ。
せっかく古硯を出したので大正時代調で一首。
---霜解かす陽射しはあれど短冊の 哀しき歌の墨は乾かず---
©️甲士三郎