鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

106 過去への散歩道

2019-09-12 12:23:08 | 日記
9月になり朝夕は多少過ごし易くなって、散歩の時間もやや増えた。
殊に秋風の小道や暮れ行く街の秋灯は趣深く、ついつい知らぬ路地まで入り込んでしまう。
数年前に映画化された「鎌倉物語」は昭和30年代の設定で、探せばあんな感じのレトロな路地が今もある。


一昔の映画「チゴイネルワイゼン」は大正頃の鎌倉が舞台で、そのPVに写っていたのがうちの近所のこの路地だ。
秋の夕暮にここを通ると過去に移転出来そうだ。

品格のある日本家屋が次々と壊されて行くのを見ていると、近い将来には鎌倉も古都の風情を無くしてつまらない町になるのだろう。
私もせめてまだ残っている古風な路地の、写真くらいは撮っておいて子孫に伝えたいと思う。

鎌倉駅周辺よりは北鎌倉の方がコンクリートの建築物が少なく、古風な家や路地も多い。
大型車の入れない小径は一見不便に思うだろうが、歩くトレーニングと考えれば年寄には良いのだ。

現代日本人の衣食住は美的様式を失い国籍不明の利便性だけの生活と堕したが、若い世代の殆どがかつては当たり前だった和風の暮しの良さを知らないので仕方ない。
ただし和の伝統でも正座だけは駄目だ。
たかだか幕末明治からの悪習でしかも町方の作法でしかない物を、武家の末裔である我々が取り入れる訳が無い。
武家の常在戦場の立居振舞は案外今の洋風生活に近く、例えば頼朝や織田信長を思い浮かべれば、正座など無かった武家の生活がイメージ出来るだろう。
着物でも武士は戦に備えた野袴 短衣 筒袖が基本で、今のパンツとシャツの形に近かった。
正座無しの和風の住環境で現代の電化製品がある暮しなら、昔の大名以上の美しく快適な人生を送れるはずだ。


写真は私もたまに寄る北鎌倉の茶屋で、昭和初期の民家をうまく使っている。
以前の繰り返しになるが大正から昭和初期頃の和洋折衷様式の家屋と暮しが、実は現代日本人にも適しているように思う。
散歩道の家々の庭や垣根の様式も美しく整っていた大正頃の鎌倉は、今から見ればまさに当時の文化人教養人の理想の楽園だったろう。

おまけの写真は今回の台風による我家の被害。

元々荒れ果てた庭なので大した被害に見えないだろうが、もうちょっと奥の地区では谷戸が崩れて自衛隊が災害派遣されていた。

©️甲士三郎