オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

空を見上げて風を感じて天気予報

2023-11-13 11:09:47 | オストメイトで登山と遠泳

 

 

 描いている天気図がメディアからボ~~っと流れる天気図と少し違う程度で、どこもあんまりはかばかしくなかったから、紅葉見物と冬山用の服や小道具探しで関東近県をウロウロしておった.

 それでも300キロくらいは走ったか。

 山用の4駆は8月に最初の3年車検をこなしたが5万キロ超えて、またエンジンオイルの交換時期になっている。

 片道200キロ圏内はサンダル履きの近所のお散歩という感覚で生きて居るから、どこに行っても土地勘はあり、楽しい場所もあり、ナニがどこにあるかくらいはだいたい解っている。

 裏道・抜け道・迷い道くらいは、何十年も毎週毎週に走り回っておれば頭に入っているが、それを思い出すのがなかなかどうしてエッチらオッチラ、えらい時間がかかるようになってる。

 ただの老いだろう。

 けっこう歩いたが気分が高揚するような場所はなかったから、せめて良い湯に浸かることを考えていた。

 それでもメディアでは映像や写真を修整したり編集して、キレイに見せてるだけのことで、実際に奥山に登って眺める景色とは比べ物にならない腐りモノだ。

 外国人が田舎に行っても増えているのはコロナ自粛開けからの日本の光景だが、観光で来ていただいている外国人が、昭和の頃には日本人らがエコノミック・アニマルとなって大挙して観光に出掛けていた国々の普通の庶民様ばかりだから、この国の斜陽ぶりは英米欧の衰退をはるかに上回っている。

 毎日まいにち同じことばかりロボットのように繰り返して、愉しいの??

 それでも借金・負債まみれで、な~んにも残らずただただ時間に追われ、死に場所だけは確保しているようでもある。

 生きて居る今、充実できない諦めから、死後の世界に夢を見る、国家や権力や支配する側が仕掛ける詐欺の一つではある。

 コロナ怖い流布と、ワクチン接種強要と同じ、人民集団洗脳のなれの果て。

 

 放射能は怖い、そういう風潮作りを続けているのはゼニカネ儲けの種を撒いているからだが、では癌治療や医療行為で放射線治療は有効だと言う意味はどうなってるのだ?

 ウヤムヤなまんま、何十年も良いだの悪だのとほざいているだけで、解決はしない。

 双方の利益のことを考えて、の話だからだ。

 地球上の生物は、放射能と紫外線が無い場所では生きては居れないことだけは事実。

 洗脳奴隷の醜態には、大笑いしてやればエエのんさ。

 ・・・ということで、掛け流しの源泉にたっぷりと浸かって来た。

 

 アメリカでは消費が好調で、物価が上がっていても個人はモノを買いまくっているというが、その原資はすべて借金・負債のクレジットなのが本当で、そのクレジットの滞納残高が過去に無い数字にまで増えてしまっている。

 大き過ぎて潰せない、みんなで渡れば怖くない、企業の自転車操業もおなじようなもんで、そんな足元の酷い状況を先延ばしにすることだけでしのいでいる姿は、とてもじゃ~ないが正気の沙汰ではない。

 

 子供らの受ける義務教育には、ことごとく否定的で反対の立場になってるような父親として生き様を貫いて来ているが、それはオス・父親としての役目をまっとうしてるだけ。

 こんな胡散臭い人間社会では、まず怖れるモノなどナニも無いこと、誰にも遠慮などせずに、自分たちの好きなように自信を持って生きて行けば良いということ、それが念頭にある。

 胡散臭い学校や教師や大人たちにどんな評価をされようとも、単なる騒音くらいに聞いておればエエし、一応は人間社会というルールの中で生きて行くのだから、自分と他との協調や融合も考えておかなければいけない訳で、胸を張ってしっかり苦労せえ! な話だ。

 集団で存在する社会ではどういう立場・位置に自分を置くのか? あとは自分の個を自由自在に発散させる。

 自分の芯は自分で作り上げる、他との調和はその時々で臨機応変に考えろ! な話。

 家柄・ブランドだけに限らず、偏差値がどうたら、学校名や会社名の肩書がどうたらは、ナンの意味もない。

 風習や伝統や習慣なんざ、ロボット化した人間もどきらがやってるお遊戯でしかない。

 子供らが自分の名前だけで生きて行くこと、それが一番に大事なこと、そう想ってる。

 生き残る為に、ナニをするか? 種を繋ぐ為に、ナニをするか? あとは好きにせい。

 これがオス・父親としての役割だと、俺は想って生きて来た。

 

 それでもこの頃は欲というモノがどんどん無くなって来ておって、生きるという欲まで失せて来つつあるが、まわりを見回せばまだまだ俺を必要としている者らがたくさんいるから、仕方なしに銀座の店に出ているようなものさ。

 馬鹿馬鹿しい、阿呆じゃ~ないのか、みみっち~、惨めったらしい、心が貧しいの?

 他や社会を見ていると、そんな思いばかりしか出て来なくなっておって、だから人のいない奥山に出掛け続けているようなもんだ。

 人間の社会では、興味を持つようなモノすら、な~んにもなくなってる。

 キレイさっぱり、簡潔至極、体力を使っては眠ること、なんかを喰うこと、いつ終わりになってもな~んにも後悔もなく、良い生だったと微笑んでるんだろう。

 

 みなさんは、なにが楽しくて生きて居るの??

 不思議に想う退屈な社会の繰り返しには、あくびと屁すら出てはこない。

 だから今朝も、仕事の合間に天気図を描いておるわいな。

 奥山は冷え切って、素敵な景色の季節になってきたからな。

 あちこちで子供を育て上げて来て、その爺婆の面倒もみな抱え込んで、ひとりひとりを孤立させないように順繰りに天に還してやってる。

 余計な医療や国家の縛りなど関係なしに、人間らしく温かく笑いながら送ってやっている。

 寒さに身体が馴れてくれば、毎日でも冬山に登っていたいくらいで、準備は万端オッケーさ。

 



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