オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

病気の元は、体内に全て存在する  

2021-04-16 07:12:13 | 地球と生きる

 

 知能の遅れている知的障害者や、身体障害者、奇形や先天的な欠損を持つ者は、隔離され、人知れず殺されて来た。

 これが人類のキレイごとの世の中社会の裏で、延々と大昔から続いて来た、残酷な儀式のようなものでもあった。

 人種差別と言うものもそうだし、遺伝子を絶やす、これが絶滅させるには確実で近道でもある訳だと考えておった。

 現実の社会では、ドラマや小説やアニメや漫画でも描かれない、凄まじい生き死にの慟哭があるが、その生き死にについても、選択肢を用意して、この中から選んで生きれば、悪いようにはせん、それを教育とも言う。

 思考や感情の動きをコントロールするために、幼い頃から教育で計算式や方程式、言葉や知識を詰め込みながらも、その基本になる意味付けや、反応の仕方やらを洗脳してしまってる。

 あとはご存じのとおり、CMひとつでも皆が集団で反応していってる。

 ・・・素敵~~~

 ところで、その反応はあなた自身の、本当の正直な感想なの??

 俺は会話が成り立たない。

 

 そもそも、この地球の表層にしがみついて生きるしか方法の無い人類が、どんだけ頑張って研究・開発・創造をしたとしても、この地球上に存在するモノを使って、この地球上でそれを行うしか方法は無い。

 それも地球の蠢き続ける、薄っぺらい表層で、だ。

 地球温暖化は人類のせい? 放射能は人類のせい? 

 地球の表層で、台風や津波や地震を起こすことは出来ても、たかだか知れている表層の話。

 人為的なモノで大きな影響を受けるのは、人類だけ。

 喧しい迷惑を被るのは人類以外の生き物たち。

 他の生き物たちは、とっととこの地球から、滅んでしまえば良いと思っていることだろう。

 逆に地球自然保護だとか、環境保全だとか抜かして金儲けにしてる連中も、地球には余計なお世話なお節介。

 すべては人類の中での競争と金儲けのための下らない話で終わってる。

 

 ウイルスは、外部から体内に侵入する微生物だと考えて、すべての感染症や伝染病というものは思考が始まってる。

 健康体で生まれ出て、外部から害悪を被るという解釈だが、最初からすべてを備えているものを、弄り過ぎてあらぬ病を発症させているとは考えない。

 医学とは、常に病が発症してから始まる学問で、治療や予防医学などは、その後に行われる辻褄合わせの金儲け。

 その治療や予防医学の度が過ぎてくると、新しい病を発症させている。

 人類は、生まれた時にはバイ菌ウヨウヨ、あらゆる微生物を体内に持って生まれている。

 現代大人社会で言う健康とはほど遠い、そんな状況で誕生してきてる。

 勘違いも甚だしい、結局薬局、自己治癒と自然快癒がことの結論で、医学・薬学が話をややこしくしているだけさ、

 早く治りたい、痛くないように治療したい、そんな間抜けな人類の自業自得が現代だ。

 

 この地球の表層上で続いている人類の歴史で考えると、あるかどうかも解らない怪しいウイルスゴッコで、人類が大騒ぎしてること自体、淘汰の一環かも知れない。

 移る、感染する、拡がる・・・なんらかの反応を起こさせて、集団で病を発症させれば、犯人探しが盛んになり、疑心暗鬼、殺し合いが始まる。

 目に見えないから怖れる、これはお化けや霊魂といった宗教的な洗脳・煽動とおなじだ。 

 サリンのような化学物質を撒いて、大量に人間を殺す、それとおなじコロナという怪しい人工のモノを撒いて、それが自然発生したウイルスだと決めつけて話を進めていること自体、嘘くさい。

 この地球の薄い表層で遺伝子を繋いで来た人類が、地球上で自然発生したモノで絶滅する??

 宇宙からの色んな宇宙線・放射線や飛来物によってというのなら解る。

 いまのいま、なんで地球の表層に、新しいウイルスが誕生しなければならないのかが解らない。

 その方が儲かるし、目に見えない話は終わらない。

 人間は、すでに医学で言われている色んな病気の元を、体内に持って生まれて来てる。

 ただ単に人類の研究・調査では、まだまだ未解明な微生物は体内にたくさんある。

 そのまんまナニも発症もせずに終わることがほとんどだ。

 移るものではなく、最初から持っているものが反応し、発症する。

 そう考えた方が自然だろう。

 

 免疫や抗体とはよく聞く。

 これはもともと誰しもが持って生まれてきているもので、生きながらに鍛えて強く出来るものではなく、逆に弱くするナニモノかが人為的に作られて、その日々の習慣に紛れ込んでいる。

 そういうことだろう。

 

 もっとさ、オツムを柔軟にして、議論や狂騒の根っこから、よ~く考え直した方が良いだろうね。

 その方が毎日が楽しいし、愉快だし、大笑いして生きて行ける。

 

 一過性の快楽や健康のために、おなじ人間を殺して喰う。

 人身御供とはそういう発想から生まれている。

 どんだけ知識があって、記憶力に優れていても、思考の原点に戻って最初から考え直すということが出来ないようでは、ただの猿でしかない。

 哀れなもんだろう。

 

 そう、哀れなのは、最後の花火を打ち上げようとしている経済の市場もそうだ。