共産主義と言われていた中国が、いまや資本主義国家へと向かい始め、自由の国アメリカが、社会主義国家へと向かい始めてるのは、なにも悪い冗談ではなくって、この10年を眺めて居れば解ることだろう。
国家と言う足枷を元にして考えるからナントカ主義、何とか主義という大看板が付けられるのであって、国家自体の存在意義を考え直し、民族や宗教とゴチャ混ぜにして闇鍋状態になってる国家の現状を考え直せば、どこの国にも色んな人間が共存しているということで、別に国家の主義や主張など要らないことになる。
主権は民に在り、主役はひとりひとりの民だという、小学生でも知ってる話がある。
国家は常に緩く大雑把なカテゴリ分けで良く、民の個々が責任を負う、それで良い筈だったものが、国家と言うハッタリ看板だけが強い力を持ち、民を押さえつけている現代では、すでにナントカ主義なんて言葉は意味を為さない。
みみっち~利権争いに生きてる猿たちが、そんなことを続けているからこそ、同じ国の中でも分断は酷くなり、このまんまだと世界中に何万という国家が必要になるだろう。
人類誕生からの営みを、輪廻の輪の中で繰り返してる。
世界中の情報を瞬時に手にすることが出来、その嘘と捏造や欺瞞も解るようになれば、情報そのものの見方も変わってくるものだが、そんな時代へと、どんどん変化をして行ってる。
国家としての大雑把なカテゴリー分けには従おう、ただしあくまでも主権は民に在り、同時に責任と負担も民が負う。
貴方任せ、国任せではなく、国民一人一人がキチンとそれを理解出来るものならば、哲学や宗教や政治思想、こういったモノも、単なる色分けで済ませれば良いことになる。
何色? 何色! そんだけの意味しか持たなくなるだろう。
なんでもモノゴトはその言葉・単語の意味まで遡って考え直すことが大事。
安易に考えを進めるのではなく、原点に戻って作り直しておかなければ、ナニも変わらない。
これはひとりの人間がどう生きるのか? そういうことに繋がる話だ。
集団や組織、群れを形成する意味はなんなの??
なんで国旗を背負って戦う必要があるの?
ひとりひとりが自分の名前で戦うのならば解るが、俺にはガキの頃からの謎、可笑しな社会が拡がっているわさ。
さて、去年の春から、厚生労働省のインフルエンザの報告を眺めてきておるが、笑える喜劇が起きて居る。
新型コロナ騒動のおかげで、インフルエンザがほとんど消滅・撲滅されておるが、これはマスクと自粛のおかげだと、これから公表するつもりなんだろう。
国民の皆様の、血の滲むようなお籠りと節制によって、なし得た快挙、ご褒美はなんだろう? そう、大増税だ。
そりゃ~、統計を作ってる役人・官僚たちは、夜な夜な大宴会に密な会合を開くわいな。
信じて、従順に従ってるフリだけは一丁前だが、国民のほとんどは、すでに嘘に気づいて、飽いて来ておる。
逆らうと、アメリカや北朝鮮からミサイルが飛んでくるとでも、思っているのさ。
横並びで薄気味悪い大メディア群と、情報弱者の田舎の人たちだけが、必死にWHOに耳を貸している。
なんとでも操作できるPCR検査で、陰性になるワクチンを作れば大儲けだな。
俺は去年の騒動勃発からすべてのモノを、根本から調べて勉強したもんだから、おかげでその辺の医者よりもいろんなことが詳しくなった。
オストメイトになって、情報の無さに困惑し、オストメイトとしてどう生きるか?を、最初から自分なりに作り直して来たこととおなじだ。
エエ加減に、間抜けな国民も目を醒ませや。
昭和の時代から、弱者救済、障害者応援、貧困層優遇・・・こういう解りやすいキレイごとのタイトルは氾濫し、その実はとんでもない利権構造があちこちに生まれて来てる。
世界を見れば、国境を越えた国際的な機関が出来上がってるが、これも今やただの利権集団に成り果てている。
さ、午後から遠方の田舎に出掛けて来るわさ。
出掛ける直前まで、あれやこれやの雑用仕事に追われている。
目眩はまだまだ軽くあるが、これも慣れればなんとかなる。
愉しく笑い飛ばして、やってくるわさ。