オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

山で子供たちの笑顔を見る愉しみ

2019-01-11 11:09:35 | 地球と生きる

 

 山や海で遊び呆けて居ると、あるがまんまの美しさというものの魅力を知るようになる。

 人の手が入ってない美しさ、人工のモノこそ薄汚い嘘ばかり、そういう価値観が身についてくる。

 人間は古来より永遠というものに魅力を感じ、命も永遠に、愛も永遠に、が、さも素晴らしいことのように言う。

 産まれ、滅びるからこそ魅力になり、滅びないモノには魅力はないのが本当なんだが、財産と権力だけを追い求めた人間にはそれが解らない、だからそんな幼稚な解釈になる。

 そんな幼稚な価値観で生きる人々は、整形したり、偽ってみたり、嘘と虚飾で飾り立て、哀れなもんだ。

 人は裸で生まれ、裸で死ぬ、ならば裸の自分を磨く以外はみな無意味なことだ。

 

 銀座の子供らを、山に連れて行く。

 ショッピングセンターやゲームセンターや遊園地やらに連れて行くのとは違って、その同行させる子供らに合った山、行き帰りの運転とコース、すべて最善の予定を立てて登山口まで行き、そこから自然の中に入って行く。

 途中で渋滞にあい、車に酔い、怪我をして、天気が急変して、体調が悪くなったり・・・いろんなことを想定しておかなければいけない。

 大小便から爪切りモロモロ、食い物・飲み物・靴から服装、装備に顔色・・・いろんなことに気を使ってなければいけない。

 言うのは簡単だが、その行動すべて緊張感を絶やさずに居らねば命に関わる。

 起こるアクシデントすべてを笑って解消してやらなければ、二度と山には興味を持たなくなる。

 有料の登山ツアーではないから、行先の変更は当たり前、自然の中で愉しむことが一番の目的になる。

 健常だった頃でも無事に帰ってくるとクタクタになるくらいだったから、大変なことには違いないが、子供らが大喜びして弾けているのを見ると、オストメイトになった今でも時間をとって、また連れて行ってやりたくなる。

 夏の海でもそう、俺が先頭になって泳いでやるから体力は相当に消耗するし、俺ですら足の届かない沖で二人位がしがみついてくることもあるし、帰りの運転から飲食までメンドウを見てやるから、なかなかに大変なことだ。

 母子家庭の子供らが多いし、母たちも同行することはあるけんども、一緒になってはしゃいでるだけで、すべては俺が責任を負うことになる。

 ・・・すこしは俺の抱えてる責任の中身を理解しろよ! 気をつかえよ! 手伝えよ!

 さすがに腹が立つと怒鳴ったりもするが、知識と経験の無いものにナニを言っても無駄なこと。

 もう20年以上もそんなことを続けているが、むかしはシングルマザーだとかの言葉すらなかった。

 ・・・可哀そう、大変そう、このまま上手く行けばいいけど・・・周囲の目はそんなとこだったが、現実は父母が揃ってる家庭の抱えてるみみっち~問題の方が可哀相、これが俺の昔からの実感だな。

 子供は強い生き物だ。

 感傷主義や古臭い価値観で生きてる大人社会とは裏腹に、みな歪むことなくスクスクと育って行ってる。

 弱いのは大人社会のほう、これは昔からの現実だ。

 母子家庭でも、いまだに自意識過剰になって構えて生きてる片親もいるけんども、俺は大笑いしてやってる。

 ・・・あんた自身が弱いだけのことで、子供はみな普通に育ってるし、大人よりも強いのが本当だよ、間抜けなのは片親で阿呆な意地張ってるあんただけだろう

 俺自身が多くの扶養家族を抱えておって、そのうえでそんなことばかり自費でやってると、ゼニカネなんて貯まるもんでもない。

 ただ関わった以上は見て見ぬふりは出来ないから、やってることだ。

 自分ひとり素敵な登山やってる話ばかり、行きたくても行けない子供らはたくさんいる。

 車の座席が空いて居るのなら、ついでに乗せて行ってやる器量が、山馬鹿には欲しいね。

 疲れても、吹き飛ぶくらいの笑顔がそこにはあるし、命を預かる緊張感はボケ防止にはなる。

 みみっち~自己満足なんて吹っ飛ぶくらいの笑顔だ。

 俺は、そう生きて来て、これからもそう生きる。

 

 そんだけのことさ。