オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

本当の事は、いつもの場所にない

2019-01-07 10:27:30 | 地球と生きる

 

 関東平野の東西南北、いろいろ出掛けておった。

 今年の方角を確認するために、思いつくあちこちに顔を出してきた。

 よく冷えておったけんども、良い年になればエエが・・・。

 

 先週に登った山の名前を、忘れてることが多くなった。

 ずっと疑問に想ってる寺や神社や、歴史の再確認のため、山や海の帰りについでに訪れてる場所の名前も、すぐに忘れてしまうことが多くなってる。

 あちこちで話していても、じきにその名前が出て来なくなってる。

 ・・・良い山だったぞ!

 ・・・どこの? なんて山?

 ・・・古い寺にさ、オモシロイ資料が残ってた!

 ・・・どこどこ?

 ・・・あ~~、なんだっけ、出てこんわ・・・

 10年くらい前までは、まだ記録に残してたりしたけんども、いまでは一眼レフのカメラで撮るだけで、あとは放置して次の山のことを考えている。

 書き遺すことは忘れないための訓練とは言うが、俺の場合は書いても忘れてる。

 そこに問題意識や興味がないからだ。

 固有名詞なんてものは他人へ伝える時に必要なものであって、自分で あそこ と解っておれば済む話だ。

 他人へ伝えることすら、そこまで大事なことだと想わなくなってる。

 そのとき、そこに一緒にいなかった奴に、その内容を伝えることなど、無理だと想ってる。

 とくに創造力や発想力が一律貧困な現代人相手では、よからぬ誤解が拡がるのが関の山。

 2000m以上の山ばかり登ってた時期から、1000m以上の眺望の良い山に裾野を広げたら、いちいち覚えておるかい!! というのが本音だ。

 ただそこへ行く道や地形のことや、歴史の話になると、いろいろと覚えておるのは、いつも興味を持って考えておるからだ。

 薄い関わり合いばかりをたくさん引きずって生きるような、政治家の秘書でもあるまいに、年賀状だの年賀メールだの、ラインだのツイッターだの、やってられるかい! というのが俺の実感。

 いま、傍にいない奴には、用はない、それで良いんだぜ。

 身内や血縁でも、もうそうなっておる。

 いつも忘れ果てておるくせに、たまに会えばワザとらしい感激と挨拶の交換、やってられんわ。

 大事なことを誤魔化すための、習慣・風習と言っても良い。

 

 今年は雪が少ないとは聞くが、いつもの場所に少ないだけのことで、いつもとは違う場所ではよく降ってる。

 人間の感覚なんてそんなもんで、だからこそそんな油断と妄信から、あちこちで自然災害の被害は広がってる。

 都会の感覚はズレまくってる。

 今年も、そんなズレから外れてキチンと生きて居たいもんだ。

 言うは易し、生きて見せることはそんなに簡単じゃ~ない。