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大東あい先生の ぶろぐの 話が 面白い
「台所は薬局・あなたも薬剤師」
「何があっても大丈夫」
「何を食べても大丈夫」
「
何があっても笑ってる」
日本の「根底」を支えるオナゴ創り
「世に羽ばたく」オナゴ創り
生い立ち~マクロビオティックとの出会い
1500gの超未熟児で産まれ、おなかは青く透け「泣いても笑っても内臓が飛び出す」状態で、母と祖母の腕の中で半年間、抱きかかえ続けられ育てられる。
医者に
「一歳迄生きていたら、腹壁を縫い合わせる手術をしましょう」
「17歳までの命」
「20歳迄に失明する国の難病指定」
「サリドマイド奇形で寝たきりになります」
「身体障害者の受給ができますよ」の役所の言葉に、母は
「そんなことをしたら、この子は一生泣き虫で暮らさなあかんようになるから絶対に取らせない!」と宣言。
「手に職を持ち、一人で生きて行けるように!」と12歳から書の道へ入る事を後押し。
18歳のある日「一番辛かったのは母」だったことに気付く。
18歳で書道教師として自立。
二人目の結婚相手は、幼少からの重度の喘息・アトピー。
使用した薬の副作用(薬害)で「スティーブンス・ジョンソン症候群 (死に至ることも少なく無い)」を発病し、全身の細胞が崩壊し壊死状態となる。
医者や父母に見放されるが、マクロビオティックで半年で社会復帰する。
父は、一生寝たきりと言われた「パーキンソン」・末期3週間と言われた「肺癌」「脳への転移」
をマクロビオティックで奇跡の生還をしてくれた。
独学でマクロビオティックを学ぶが、本格的に習得する為に、リマ・クッキングアカデミーや断食道場等に師を求め、幾多の門を叩く。
「女性の観点で見つめること」の重要性を学ぶ。
母は、筆から包丁への転身を遂げた娘に「人生、思いっきり生きなさい!」
「料理教室をしている時が、一番カッコイイ!」と、人生初めての誉め言葉。
そして…
あい流マクロビオティックは
「何があっても大丈夫」
「何を食べても大丈夫」
「何があっても笑ってる」
がテーマとなる。