<4日目の奇跡>
4日目でした。
私は朝から落ち着きませんでした。
ひとりさんの言葉がひっかかって、夕べは眠れませんでした。
「苦労をやめれば幸せになれる」
私の人生は、私がやめないから苦労が続いているそうだ。
何をわけのわからないことを言っているのだと憤慨する一方で、
私には、ひとりさんのあの真剣な表情がウソを言っているようには思えませんでした。
苦労がやめられる。
幸せになれるなどと、今までに聞いたこともない話に振り回されているのかと思うと、
私のプライドは少々傷つき、それでも
「もし、私のためになる話」なら、教えて欲しいものだと本気で願ってもいたのです。
私は矛盾し、いらだっていました。
先に来たカウンターの客が言いました。
「マスター、何そんなに機嫌が悪いんだよ」
「別に悪くありませんよ」
「今日は幸せになる方法を聞けるんだぜ。
楽しみじゃないの?」
「私はもう幸せですから」
私の機嫌は、最悪でした。
午後、いつもの時間に一人さんがやってきました。
家内が「店、しめちゃいましょうか」と言うと、
「いいよ、話は簡単だから、すぐ終わるから」
そう言っていつもの席に腰を降ろしました。
へぇ~幸せになるのは簡単なんだってさ。
私の心にはトゲが出ていました
でも一人さんの話は本当に簡単で短い話だったのです。
「マスター、考え方なんだよ。
考えを変えようってことなんだ。
別にマスターを責めるつもりはないんだよ。
マスターの人生はすごいよ。
あんなすごい人生俺にはマネできない。
でもね、苦労には2種類あるんだよ。
ひとつは子どもの頃に経験した苦労。
お父さんが亡くなって、家を放り出されて…
ああいう苦労は子どものマスターにはどうしようもないことだよね。
だけど、大人になってからの苦労はやめられるんだよ。
例えば、マスターは、レストランの社長は日ひどい人だと思ってるけど、
でも商人がソロバンできなかったら、本当にやっていけないよ。
帳簿をつけろと言われた、でもそれは、
マスター、その社長にものすごく期待されていたのかもしれないよ。
帳簿なんて、経営者にとって財布と同じだからね。
それを預けようというのは、すごい信頼だったのかもしれない」
そういう一面は確かにあったのかもしれません。
まだ、親戚の家にいた頃、その社長が私を見て、
「この子は商人に向いていそうだから、将来は自分の所で仕事を覚えたらいい」
と言ったそうです。
ただ、そんな大人の思惑は、わたしには伝わっていませんでした。
私は怖い思いをしただけでした。
「簿記とか覚えるのに、苦労したんだろうけど、
もし、その時、あぁ社長は俺に期待してくれてるんだなぁと思って
勉強したら、全然違っていたかもしれないよね。
イヤイヤじゃなくて、もっと楽しく覚えられたかもしれない。
その事に、気づいていたら、社長ともっと良い関係を持てたかもしれないよ。
でも、マスターは、いやだ、いやだ、我慢、我慢、そればっかりだったんでしょう」
「お言葉ですが」と私は言いました。
「我慢しなければ、その先がないじゃないですか。
我慢して我慢して、だから、幸せがくるんでしょう」
私の声は、段々大きくなっていました。
「そうだよね。日本人は大抵、そう思ってる。
苦労したら、良くなると思ってる。
苦労して苦労して、苦労の結果、花が咲くと思ってる。
でも、苦労の先には、苦労が待ってるんだよ。
我慢からは、恨みしか生まれないんだよ。
現に、マスターそうだったでしょう。
我慢して我慢して、レストランの社長を恨むしかなかったでしょう。
和菓子の店だって、我慢して我慢して、
やっぱり今も恨んでるんでしょう。
でも、人を恨んでいいことあった?
レストランの社長や親友を恨んで、
何かいいことあったのかな?」
すぐには答えが見つかりませんでした。
良いことを思い出そうにも、思い出せないのです。
その通りでした。
いいことなんか、なかったんですから。
恨んで恨んで、いつか見返してやろうとは思っていました。
でも、見返すチャンスさえ、まだやってきてはいませんでした。
「しかし…」
私は食い下がります。
「しかし、苦労したら、良くなると思うのは、
間違いだとおっしゃいますが、
皆そうやって、頑張っているんじゃないですか。
苦労すれば、きっと神様が見ていてくれる。
きっと神様が、いつか幸せにしてくれる。
そう思って頑張るしかないんじゃないですか」
「そうだよね、日本人て、ほんとにそうなんだよね。
でも、その神様って、一体どこにいるの?」
私は言葉に詰まりました。
「少なくとも私は会ったことがないよ」
ひとりさんは言いました。
私もありませんでした。
「そんな神様が、世の中で苦労している人すべてを見守ってくれるというのなら、
昔のどぶ板長屋に住んでいた人も、大陸に渡った人も、皆幸せになってるよ。
でも、皆、苦労して苦労して、その先はなかったんだよ。
マスターも、ずっと苦労する考え方をしている。
それじゃぁ、いくら頑張っても、苦労は続くんだよ。
その事に早く気づいて、これから幸せになろうよってことなんだ。
苦労の先に幸せが待っている、だから、頑張って苦労(努力)しよう、なんて思っていたら、
苦労して苦労して、苦労したまま死んじゃうよ」
真面目な顔してひとりさんは言うのでした。
なんだか本当に、みじめに死に行く、自分の姿が見えて来るようです。
「でも、世の中の人は誰もそんなこといいませんよ」
私がムキになるとひとりさんは言ったのです。
「多数意見だから正しいと思うのは、やめようよ。
皆が言ってることは正しくて、それで幸せになれるのなら、
今、世の中の人は皆、幸せってことになるよ。
世の中に、いわゆる成功する人って、少ないよ。
あの人は、成功した、大金持ちになった、幸せそうだ、そう言える人は、本当に少ないよね。
成功者が少ないというのは、正しい意見は、少ない方だっていうこともあるんだよ。
もちろん、少ない意見にも、めちゃくちゃなものもあるよ。
だけど、ほとんどの人は成功しないってことは、
大勢の意見は、成功しないって事なんだよ。」
わからなくなってきました。
私の人生は確かに苦労続きだったと思います。
でもその苦労に、つぶされず、よく乗り切って来た方だと自分では思っていました。
いわば、苦労は勲章のようなものだという、意識がどこかにあったのでしょう。
これからまだ苦労は続くかもしれないけど、それはどうしようもないことだ。
苦労を乗り越えるから、幸せになれる、幸せになるには苦労が必要なんだ、
そう思わなければ、くじけてしまいそうな時期が、私にはあまりにも長かったからです。
ところが、ひとりさんは、そんな私の考えを、ひっくり返していました。
「苦労してしんどい思いをすると言うのは、それは間違いですよ、という神様の教えなの。
うまくいかないって事は、神様が、早くやめなさいと言っているお知らせなんだよ」
「だって、さっき神様なんか、どこにいるって言ったじゃないですか!?」
私が声を上げると、ひとりさんは、
「いるじゃないですか。そこに」
そう言って私の胸の辺りを指さしたのです。
「幸せな考え方をする人は、必ず幸せになれるんだよ。
私の方針はね、人に優しく、自分に優しくなの。
だから、私は幸せなの。
常識だとか、みなが言うからとか、関係ないの。
我慢なんか、しなくていいんだよ。
自分がやりたいと思ったことは、自分で決めていいんだよ。
マスターの常識と世間の常識が、少しくらい違っていてもいいんだよ。
今までそう思わなかったのなら、今、気づいて、これからそう思えばいいんだよ。
苦労はもう終わりだよ。
変わろうよ、そうすれば、人にももっと優しくなれる。
人に優しくなれたら、もっともっと幸せになれるんじゃないかな」
「じゃぁどうすればいいんですか」
私は聞きました。
「マスター」
「はい」
「顔の艶だしなよ」
「はぁ?艶…!?ですか?」
「うん!マスター、最近鏡で自分の顔見てる?
眉間にすごい縦皺入ってるよ。
すごく深いよ。
お世辞にも幸せそうに見えないよ。
それにもっと笑おうよ。
艶、だそうよ、艶」
ひとりさんはそう言ったのです。
言ってることは、確かに正しいと思えてきました。
でも顔に艶とは…
それから、こんな事も言いました。
「言葉には、人を不幸にする地獄言葉と、
人を幸せにする、天国言葉、というのがあるんだよ。
マスター、今まで地獄言葉が多かったよね。
それじゃ、幸せになれないんだよ。
これからは天国言葉を話すようにしようよ」
そう言って、天国言葉と、地獄言葉というのを紙に書いてくれたのです。
天国言葉
「ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、幸せ、ありがとう、許します」
こういう言葉を言ってると、また言いたくなるような、幸せな事がたくさん起きます。
地獄言葉
「ついてない、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、心配事、許せない」
こういう言葉を言っていると、もう一度こういう言葉を言ってしまうような、イヤなことが起きます。
やっぱり不思議な人でした。
なんと表現したらいいのか、全身がゆるんで行くような、ある種の脱力感を私は感じていました。
しかし、それは幸せな脱力感でした。
ひとりさんの話はそれで終わりでした。
店を出ようとする一人さんに私は、
気になっていたことを聞いてみようと思いました。
家内は、以前から、ひとりさんは不思議な話をする人だってよく言ってました。
そのひとつに、兎と亀の話がありました。
「家内が言ってたのですが、うさぎと亀の話…ってなんですか?
亀が勝っても、負けだとかいう…?」
「あぁ、あれね、
別にそのままの話だよ。
かけっこなんか、亀の最も苦手とする所でしょ。
なのに、なぜ亀はその勝負を受けたのかな、と思ってさ。
たまたま兎が寝たから勝ったけど、
そんな偶然普通ないよね。
勝ったのは、本当にたまたまでさ、かけっこでOKした段階で、最初から負けているんだよ。亀は。
そういう勝負はやっちゃダメだよね。
自分のできることと、できないこと、ちゃんと見極めれば、亀もあんなに苦労することはなかったんだよ。
亀は兎と水泳の競争をすれば簡単に勝ったと思うよ。
ただそれだけだよ」
生真面目に解説すると、ひとりさんは帰って行きました。
珍しく黙って聞いていたカウンターの客が、首を傾けながら、私に言いました。
「マスター、今の話わかった!?」
まるっきりちんぷんかんぷんという顔をしています。
「ええ、たぶん」
私はそう答えていました。
これで、私の話は終わりです。
振り返れば、たった四日間の出来事でした。
頑固でかたくなだった私の頭は四日で変わってしまいました。
日本一暇な喫茶店で起きた事は、私にとってまさに奇跡だったのです。
その後もひとりさんは、律儀に毎日来てくれました。
ひとりさんの話で私が一番好きな話を紹介します。
「俺も未熟者、マスターも未熟者、
人はみんな未熟者なんだよ。
だから、生きていくというのは修行なんだよ。
無敵の人生を目指す修行。
いつも笑顔でいるんだよ。
人は誰もが太陽なんだよ。
太陽のようにいつも明るく輝いていようよ。
そして愛のある言葉を話すんだよ。
そうしたら、会う人、会う人が、みんな味方になってくれるよ。
無敵というのは、誰にも負けないという意味じゃないよ。
敵がいないということだよ。
敵が一人もいなければ、それだけで、天国だよね。
笑って、無敵の人生を歩こうよ」
私は本当に未熟で、他人の事を思いやることがなかなかできません。
だからといって、そんなに落ち込むことはありません。
笑って、楽しく人とお付き合いしていこうと、日々思って生きていけば、
それは立派な修行になっているんだよ、とひとりさんは教えてくれたのです。
笑って無敵の人生を歩く…
すこぶる楽しい修行です。
この歳になってこんなに充実した楽しい日々が送れていることに感謝しています。
本当にありがたいことにお金には困らなくなりました。
体も超元気です。
今年は、納税額で、娘に負けてしまいました。
生死をさまよった娘が、ここまでになってくれたかと思うと、
なんともありがたく胸が詰まる思いです。
今あちこちで講演する毎日です。
私はつくづく思います。
なんでこんなに幸せになっちゃったのか、
我が師、斉藤ひとりさん、
私が生まれてこのかた会ったことのない魅力的な人に出会って、私の心に奇跡が起きました。
そして幸せになったのです。
みなさん、一緒に、笑って無敵の人生を歩きましょう。
4日目でした。
私は朝から落ち着きませんでした。
ひとりさんの言葉がひっかかって、夕べは眠れませんでした。
「苦労をやめれば幸せになれる」
私の人生は、私がやめないから苦労が続いているそうだ。
何をわけのわからないことを言っているのだと憤慨する一方で、
私には、ひとりさんのあの真剣な表情がウソを言っているようには思えませんでした。
苦労がやめられる。
幸せになれるなどと、今までに聞いたこともない話に振り回されているのかと思うと、
私のプライドは少々傷つき、それでも
「もし、私のためになる話」なら、教えて欲しいものだと本気で願ってもいたのです。
私は矛盾し、いらだっていました。
先に来たカウンターの客が言いました。
「マスター、何そんなに機嫌が悪いんだよ」
「別に悪くありませんよ」
「今日は幸せになる方法を聞けるんだぜ。
楽しみじゃないの?」
「私はもう幸せですから」
私の機嫌は、最悪でした。
午後、いつもの時間に一人さんがやってきました。
家内が「店、しめちゃいましょうか」と言うと、
「いいよ、話は簡単だから、すぐ終わるから」
そう言っていつもの席に腰を降ろしました。
へぇ~幸せになるのは簡単なんだってさ。
私の心にはトゲが出ていました
でも一人さんの話は本当に簡単で短い話だったのです。
「マスター、考え方なんだよ。
考えを変えようってことなんだ。
別にマスターを責めるつもりはないんだよ。
マスターの人生はすごいよ。
あんなすごい人生俺にはマネできない。
でもね、苦労には2種類あるんだよ。
ひとつは子どもの頃に経験した苦労。
お父さんが亡くなって、家を放り出されて…
ああいう苦労は子どものマスターにはどうしようもないことだよね。
だけど、大人になってからの苦労はやめられるんだよ。
例えば、マスターは、レストランの社長は日ひどい人だと思ってるけど、
でも商人がソロバンできなかったら、本当にやっていけないよ。
帳簿をつけろと言われた、でもそれは、
マスター、その社長にものすごく期待されていたのかもしれないよ。
帳簿なんて、経営者にとって財布と同じだからね。
それを預けようというのは、すごい信頼だったのかもしれない」
そういう一面は確かにあったのかもしれません。
まだ、親戚の家にいた頃、その社長が私を見て、
「この子は商人に向いていそうだから、将来は自分の所で仕事を覚えたらいい」
と言ったそうです。
ただ、そんな大人の思惑は、わたしには伝わっていませんでした。
私は怖い思いをしただけでした。
「簿記とか覚えるのに、苦労したんだろうけど、
もし、その時、あぁ社長は俺に期待してくれてるんだなぁと思って
勉強したら、全然違っていたかもしれないよね。
イヤイヤじゃなくて、もっと楽しく覚えられたかもしれない。
その事に、気づいていたら、社長ともっと良い関係を持てたかもしれないよ。
でも、マスターは、いやだ、いやだ、我慢、我慢、そればっかりだったんでしょう」
「お言葉ですが」と私は言いました。
「我慢しなければ、その先がないじゃないですか。
我慢して我慢して、だから、幸せがくるんでしょう」
私の声は、段々大きくなっていました。
「そうだよね。日本人は大抵、そう思ってる。
苦労したら、良くなると思ってる。
苦労して苦労して、苦労の結果、花が咲くと思ってる。
でも、苦労の先には、苦労が待ってるんだよ。
我慢からは、恨みしか生まれないんだよ。
現に、マスターそうだったでしょう。
我慢して我慢して、レストランの社長を恨むしかなかったでしょう。
和菓子の店だって、我慢して我慢して、
やっぱり今も恨んでるんでしょう。
でも、人を恨んでいいことあった?
レストランの社長や親友を恨んで、
何かいいことあったのかな?」
すぐには答えが見つかりませんでした。
良いことを思い出そうにも、思い出せないのです。
その通りでした。
いいことなんか、なかったんですから。
恨んで恨んで、いつか見返してやろうとは思っていました。
でも、見返すチャンスさえ、まだやってきてはいませんでした。
「しかし…」
私は食い下がります。
「しかし、苦労したら、良くなると思うのは、
間違いだとおっしゃいますが、
皆そうやって、頑張っているんじゃないですか。
苦労すれば、きっと神様が見ていてくれる。
きっと神様が、いつか幸せにしてくれる。
そう思って頑張るしかないんじゃないですか」
「そうだよね、日本人て、ほんとにそうなんだよね。
でも、その神様って、一体どこにいるの?」
私は言葉に詰まりました。
「少なくとも私は会ったことがないよ」
ひとりさんは言いました。
私もありませんでした。
「そんな神様が、世の中で苦労している人すべてを見守ってくれるというのなら、
昔のどぶ板長屋に住んでいた人も、大陸に渡った人も、皆幸せになってるよ。
でも、皆、苦労して苦労して、その先はなかったんだよ。
マスターも、ずっと苦労する考え方をしている。
それじゃぁ、いくら頑張っても、苦労は続くんだよ。
その事に早く気づいて、これから幸せになろうよってことなんだ。
苦労の先に幸せが待っている、だから、頑張って苦労(努力)しよう、なんて思っていたら、
苦労して苦労して、苦労したまま死んじゃうよ」
真面目な顔してひとりさんは言うのでした。
なんだか本当に、みじめに死に行く、自分の姿が見えて来るようです。
「でも、世の中の人は誰もそんなこといいませんよ」
私がムキになるとひとりさんは言ったのです。
「多数意見だから正しいと思うのは、やめようよ。
皆が言ってることは正しくて、それで幸せになれるのなら、
今、世の中の人は皆、幸せってことになるよ。
世の中に、いわゆる成功する人って、少ないよ。
あの人は、成功した、大金持ちになった、幸せそうだ、そう言える人は、本当に少ないよね。
成功者が少ないというのは、正しい意見は、少ない方だっていうこともあるんだよ。
もちろん、少ない意見にも、めちゃくちゃなものもあるよ。
だけど、ほとんどの人は成功しないってことは、
大勢の意見は、成功しないって事なんだよ。」
わからなくなってきました。
私の人生は確かに苦労続きだったと思います。
でもその苦労に、つぶされず、よく乗り切って来た方だと自分では思っていました。
いわば、苦労は勲章のようなものだという、意識がどこかにあったのでしょう。
これからまだ苦労は続くかもしれないけど、それはどうしようもないことだ。
苦労を乗り越えるから、幸せになれる、幸せになるには苦労が必要なんだ、
そう思わなければ、くじけてしまいそうな時期が、私にはあまりにも長かったからです。
ところが、ひとりさんは、そんな私の考えを、ひっくり返していました。
「苦労してしんどい思いをすると言うのは、それは間違いですよ、という神様の教えなの。
うまくいかないって事は、神様が、早くやめなさいと言っているお知らせなんだよ」
「だって、さっき神様なんか、どこにいるって言ったじゃないですか!?」
私が声を上げると、ひとりさんは、
「いるじゃないですか。そこに」
そう言って私の胸の辺りを指さしたのです。
「幸せな考え方をする人は、必ず幸せになれるんだよ。
私の方針はね、人に優しく、自分に優しくなの。
だから、私は幸せなの。
常識だとか、みなが言うからとか、関係ないの。
我慢なんか、しなくていいんだよ。
自分がやりたいと思ったことは、自分で決めていいんだよ。
マスターの常識と世間の常識が、少しくらい違っていてもいいんだよ。
今までそう思わなかったのなら、今、気づいて、これからそう思えばいいんだよ。
苦労はもう終わりだよ。
変わろうよ、そうすれば、人にももっと優しくなれる。
人に優しくなれたら、もっともっと幸せになれるんじゃないかな」
「じゃぁどうすればいいんですか」
私は聞きました。
「マスター」
「はい」
「顔の艶だしなよ」
「はぁ?艶…!?ですか?」
「うん!マスター、最近鏡で自分の顔見てる?
眉間にすごい縦皺入ってるよ。
すごく深いよ。
お世辞にも幸せそうに見えないよ。
それにもっと笑おうよ。
艶、だそうよ、艶」
ひとりさんはそう言ったのです。
言ってることは、確かに正しいと思えてきました。
でも顔に艶とは…
それから、こんな事も言いました。
「言葉には、人を不幸にする地獄言葉と、
人を幸せにする、天国言葉、というのがあるんだよ。
マスター、今まで地獄言葉が多かったよね。
それじゃ、幸せになれないんだよ。
これからは天国言葉を話すようにしようよ」
そう言って、天国言葉と、地獄言葉というのを紙に書いてくれたのです。
天国言葉
「ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、幸せ、ありがとう、許します」
こういう言葉を言ってると、また言いたくなるような、幸せな事がたくさん起きます。
地獄言葉
「ついてない、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、心配事、許せない」
こういう言葉を言っていると、もう一度こういう言葉を言ってしまうような、イヤなことが起きます。
やっぱり不思議な人でした。
なんと表現したらいいのか、全身がゆるんで行くような、ある種の脱力感を私は感じていました。
しかし、それは幸せな脱力感でした。
ひとりさんの話はそれで終わりでした。
店を出ようとする一人さんに私は、
気になっていたことを聞いてみようと思いました。
家内は、以前から、ひとりさんは不思議な話をする人だってよく言ってました。
そのひとつに、兎と亀の話がありました。
「家内が言ってたのですが、うさぎと亀の話…ってなんですか?
亀が勝っても、負けだとかいう…?」
「あぁ、あれね、
別にそのままの話だよ。
かけっこなんか、亀の最も苦手とする所でしょ。
なのに、なぜ亀はその勝負を受けたのかな、と思ってさ。
たまたま兎が寝たから勝ったけど、
そんな偶然普通ないよね。
勝ったのは、本当にたまたまでさ、かけっこでOKした段階で、最初から負けているんだよ。亀は。
そういう勝負はやっちゃダメだよね。
自分のできることと、できないこと、ちゃんと見極めれば、亀もあんなに苦労することはなかったんだよ。
亀は兎と水泳の競争をすれば簡単に勝ったと思うよ。
ただそれだけだよ」
生真面目に解説すると、ひとりさんは帰って行きました。
珍しく黙って聞いていたカウンターの客が、首を傾けながら、私に言いました。
「マスター、今の話わかった!?」
まるっきりちんぷんかんぷんという顔をしています。
「ええ、たぶん」
私はそう答えていました。
これで、私の話は終わりです。
振り返れば、たった四日間の出来事でした。
頑固でかたくなだった私の頭は四日で変わってしまいました。
日本一暇な喫茶店で起きた事は、私にとってまさに奇跡だったのです。
その後もひとりさんは、律儀に毎日来てくれました。
ひとりさんの話で私が一番好きな話を紹介します。
「俺も未熟者、マスターも未熟者、
人はみんな未熟者なんだよ。
だから、生きていくというのは修行なんだよ。
無敵の人生を目指す修行。
いつも笑顔でいるんだよ。
人は誰もが太陽なんだよ。
太陽のようにいつも明るく輝いていようよ。
そして愛のある言葉を話すんだよ。
そうしたら、会う人、会う人が、みんな味方になってくれるよ。
無敵というのは、誰にも負けないという意味じゃないよ。
敵がいないということだよ。
敵が一人もいなければ、それだけで、天国だよね。
笑って、無敵の人生を歩こうよ」
私は本当に未熟で、他人の事を思いやることがなかなかできません。
だからといって、そんなに落ち込むことはありません。
笑って、楽しく人とお付き合いしていこうと、日々思って生きていけば、
それは立派な修行になっているんだよ、とひとりさんは教えてくれたのです。
笑って無敵の人生を歩く…
すこぶる楽しい修行です。
この歳になってこんなに充実した楽しい日々が送れていることに感謝しています。
本当にありがたいことにお金には困らなくなりました。
体も超元気です。
今年は、納税額で、娘に負けてしまいました。
生死をさまよった娘が、ここまでになってくれたかと思うと、
なんともありがたく胸が詰まる思いです。
今あちこちで講演する毎日です。
私はつくづく思います。
なんでこんなに幸せになっちゃったのか、
我が師、斉藤ひとりさん、
私が生まれてこのかた会ったことのない魅力的な人に出会って、私の心に奇跡が起きました。
そして幸せになったのです。
みなさん、一緒に、笑って無敵の人生を歩きましょう。