ころりん~キラキラ☆

楽しいこと、嬉しいこと、伝えること ころころ~ころりん☆

斉藤一人さんの無敵の人生4

2009-07-01 19:48:26 | 
<4日目の奇跡>

4日目でした。
私は朝から落ち着きませんでした。
ひとりさんの言葉がひっかかって、夕べは眠れませんでした。
「苦労をやめれば幸せになれる」
私の人生は、私がやめないから苦労が続いているそうだ。
何をわけのわからないことを言っているのだと憤慨する一方で、
私には、ひとりさんのあの真剣な表情がウソを言っているようには思えませんでした。
苦労がやめられる。
幸せになれるなどと、今までに聞いたこともない話に振り回されているのかと思うと、
私のプライドは少々傷つき、それでも
「もし、私のためになる話」なら、教えて欲しいものだと本気で願ってもいたのです。
私は矛盾し、いらだっていました。
先に来たカウンターの客が言いました。
「マスター、何そんなに機嫌が悪いんだよ」
「別に悪くありませんよ」
「今日は幸せになる方法を聞けるんだぜ。
楽しみじゃないの?」
「私はもう幸せですから」
私の機嫌は、最悪でした。
午後、いつもの時間に一人さんがやってきました。
家内が「店、しめちゃいましょうか」と言うと、
「いいよ、話は簡単だから、すぐ終わるから」
そう言っていつもの席に腰を降ろしました。
へぇ~幸せになるのは簡単なんだってさ。
私の心にはトゲが出ていました
でも一人さんの話は本当に簡単で短い話だったのです。
「マスター、考え方なんだよ。
考えを変えようってことなんだ。
別にマスターを責めるつもりはないんだよ。
マスターの人生はすごいよ。
あんなすごい人生俺にはマネできない。
でもね、苦労には2種類あるんだよ。
ひとつは子どもの頃に経験した苦労。
お父さんが亡くなって、家を放り出されて…
ああいう苦労は子どものマスターにはどうしようもないことだよね。
だけど、大人になってからの苦労はやめられるんだよ。
例えば、マスターは、レストランの社長は日ひどい人だと思ってるけど、
でも商人がソロバンできなかったら、本当にやっていけないよ。
帳簿をつけろと言われた、でもそれは、
マスター、その社長にものすごく期待されていたのかもしれないよ。
帳簿なんて、経営者にとって財布と同じだからね。
それを預けようというのは、すごい信頼だったのかもしれない」
そういう一面は確かにあったのかもしれません。
まだ、親戚の家にいた頃、その社長が私を見て、
「この子は商人に向いていそうだから、将来は自分の所で仕事を覚えたらいい」
と言ったそうです。
ただ、そんな大人の思惑は、わたしには伝わっていませんでした。
私は怖い思いをしただけでした。
「簿記とか覚えるのに、苦労したんだろうけど、
もし、その時、あぁ社長は俺に期待してくれてるんだなぁと思って
勉強したら、全然違っていたかもしれないよね。
イヤイヤじゃなくて、もっと楽しく覚えられたかもしれない。
その事に、気づいていたら、社長ともっと良い関係を持てたかもしれないよ。
でも、マスターは、いやだ、いやだ、我慢、我慢、そればっかりだったんでしょう」
「お言葉ですが」と私は言いました。
「我慢しなければ、その先がないじゃないですか。
我慢して我慢して、だから、幸せがくるんでしょう」
私の声は、段々大きくなっていました。
「そうだよね。日本人は大抵、そう思ってる。
苦労したら、良くなると思ってる。
苦労して苦労して、苦労の結果、花が咲くと思ってる。
でも、苦労の先には、苦労が待ってるんだよ。
我慢からは、恨みしか生まれないんだよ。
現に、マスターそうだったでしょう。
我慢して我慢して、レストランの社長を恨むしかなかったでしょう。
和菓子の店だって、我慢して我慢して、
やっぱり今も恨んでるんでしょう。
でも、人を恨んでいいことあった?
レストランの社長や親友を恨んで、
何かいいことあったのかな?」
すぐには答えが見つかりませんでした。
良いことを思い出そうにも、思い出せないのです。
その通りでした。
いいことなんか、なかったんですから。
恨んで恨んで、いつか見返してやろうとは思っていました。
でも、見返すチャンスさえ、まだやってきてはいませんでした。
「しかし…」
私は食い下がります。
「しかし、苦労したら、良くなると思うのは、
間違いだとおっしゃいますが、
皆そうやって、頑張っているんじゃないですか。
苦労すれば、きっと神様が見ていてくれる。
きっと神様が、いつか幸せにしてくれる。
そう思って頑張るしかないんじゃないですか」
「そうだよね、日本人て、ほんとにそうなんだよね。
でも、その神様って、一体どこにいるの?」
私は言葉に詰まりました。
「少なくとも私は会ったことがないよ」
ひとりさんは言いました。
私もありませんでした。
「そんな神様が、世の中で苦労している人すべてを見守ってくれるというのなら、
昔のどぶ板長屋に住んでいた人も、大陸に渡った人も、皆幸せになってるよ。
でも、皆、苦労して苦労して、その先はなかったんだよ。
マスターも、ずっと苦労する考え方をしている。
それじゃぁ、いくら頑張っても、苦労は続くんだよ。
その事に早く気づいて、これから幸せになろうよってことなんだ。
苦労の先に幸せが待っている、だから、頑張って苦労(努力)しよう、なんて思っていたら、
苦労して苦労して、苦労したまま死んじゃうよ」
真面目な顔してひとりさんは言うのでした。
なんだか本当に、みじめに死に行く、自分の姿が見えて来るようです。
「でも、世の中の人は誰もそんなこといいませんよ」
私がムキになるとひとりさんは言ったのです。
「多数意見だから正しいと思うのは、やめようよ。
皆が言ってることは正しくて、それで幸せになれるのなら、
今、世の中の人は皆、幸せってことになるよ。
世の中に、いわゆる成功する人って、少ないよ。
あの人は、成功した、大金持ちになった、幸せそうだ、そう言える人は、本当に少ないよね。
成功者が少ないというのは、正しい意見は、少ない方だっていうこともあるんだよ。
もちろん、少ない意見にも、めちゃくちゃなものもあるよ。
だけど、ほとんどの人は成功しないってことは、
大勢の意見は、成功しないって事なんだよ。」
わからなくなってきました。
私の人生は確かに苦労続きだったと思います。
でもその苦労に、つぶされず、よく乗り切って来た方だと自分では思っていました。
いわば、苦労は勲章のようなものだという、意識がどこかにあったのでしょう。
これからまだ苦労は続くかもしれないけど、それはどうしようもないことだ。
苦労を乗り越えるから、幸せになれる、幸せになるには苦労が必要なんだ、
そう思わなければ、くじけてしまいそうな時期が、私にはあまりにも長かったからです。
ところが、ひとりさんは、そんな私の考えを、ひっくり返していました。
「苦労してしんどい思いをすると言うのは、それは間違いですよ、という神様の教えなの。
うまくいかないって事は、神様が、早くやめなさいと言っているお知らせなんだよ」
「だって、さっき神様なんか、どこにいるって言ったじゃないですか!?」
私が声を上げると、ひとりさんは、
「いるじゃないですか。そこに」
そう言って私の胸の辺りを指さしたのです。
「幸せな考え方をする人は、必ず幸せになれるんだよ。
私の方針はね、人に優しく、自分に優しくなの。
だから、私は幸せなの。
常識だとか、みなが言うからとか、関係ないの。
我慢なんか、しなくていいんだよ。
自分がやりたいと思ったことは、自分で決めていいんだよ。
マスターの常識と世間の常識が、少しくらい違っていてもいいんだよ。
今までそう思わなかったのなら、今、気づいて、これからそう思えばいいんだよ。
苦労はもう終わりだよ。
変わろうよ、そうすれば、人にももっと優しくなれる。
人に優しくなれたら、もっともっと幸せになれるんじゃないかな」
「じゃぁどうすればいいんですか」
私は聞きました。
「マスター」
「はい」
「顔の艶だしなよ」
「はぁ?艶…!?ですか?」
「うん!マスター、最近鏡で自分の顔見てる?
眉間にすごい縦皺入ってるよ。
すごく深いよ。
お世辞にも幸せそうに見えないよ。
それにもっと笑おうよ。
艶、だそうよ、艶」
ひとりさんはそう言ったのです。
言ってることは、確かに正しいと思えてきました。
でも顔に艶とは…
それから、こんな事も言いました。
「言葉には、人を不幸にする地獄言葉と、
人を幸せにする、天国言葉、というのがあるんだよ。
マスター、今まで地獄言葉が多かったよね。
それじゃ、幸せになれないんだよ。
これからは天国言葉を話すようにしようよ」
そう言って、天国言葉と、地獄言葉というのを紙に書いてくれたのです。
天国言葉
「ついてる、うれしい、楽しい、感謝してます、幸せ、ありがとう、許します」
こういう言葉を言ってると、また言いたくなるような、幸せな事がたくさん起きます。
地獄言葉
「ついてない、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、心配事、許せない」
こういう言葉を言っていると、もう一度こういう言葉を言ってしまうような、イヤなことが起きます。
やっぱり不思議な人でした。
なんと表現したらいいのか、全身がゆるんで行くような、ある種の脱力感を私は感じていました。
しかし、それは幸せな脱力感でした。
ひとりさんの話はそれで終わりでした。
店を出ようとする一人さんに私は、
気になっていたことを聞いてみようと思いました。
家内は、以前から、ひとりさんは不思議な話をする人だってよく言ってました。
そのひとつに、兎と亀の話がありました。
「家内が言ってたのですが、うさぎと亀の話…ってなんですか?
亀が勝っても、負けだとかいう…?」
「あぁ、あれね、
別にそのままの話だよ。
かけっこなんか、亀の最も苦手とする所でしょ。
なのに、なぜ亀はその勝負を受けたのかな、と思ってさ。
たまたま兎が寝たから勝ったけど、
そんな偶然普通ないよね。
勝ったのは、本当にたまたまでさ、かけっこでOKした段階で、最初から負けているんだよ。亀は。
そういう勝負はやっちゃダメだよね。
自分のできることと、できないこと、ちゃんと見極めれば、亀もあんなに苦労することはなかったんだよ。
亀は兎と水泳の競争をすれば簡単に勝ったと思うよ。
ただそれだけだよ」
生真面目に解説すると、ひとりさんは帰って行きました。
珍しく黙って聞いていたカウンターの客が、首を傾けながら、私に言いました。
「マスター、今の話わかった!?」
まるっきりちんぷんかんぷんという顔をしています。
「ええ、たぶん」
私はそう答えていました。
これで、私の話は終わりです。
振り返れば、たった四日間の出来事でした。
頑固でかたくなだった私の頭は四日で変わってしまいました。
日本一暇な喫茶店で起きた事は、私にとってまさに奇跡だったのです。
その後もひとりさんは、律儀に毎日来てくれました。
ひとりさんの話で私が一番好きな話を紹介します。
「俺も未熟者、マスターも未熟者、
人はみんな未熟者なんだよ。
だから、生きていくというのは修行なんだよ。
無敵の人生を目指す修行。
いつも笑顔でいるんだよ。
人は誰もが太陽なんだよ。
太陽のようにいつも明るく輝いていようよ。
そして愛のある言葉を話すんだよ。
そうしたら、会う人、会う人が、みんな味方になってくれるよ。
無敵というのは、誰にも負けないという意味じゃないよ。
敵がいないということだよ。
敵が一人もいなければ、それだけで、天国だよね。
笑って、無敵の人生を歩こうよ」
私は本当に未熟で、他人の事を思いやることがなかなかできません。
だからといって、そんなに落ち込むことはありません。
笑って、楽しく人とお付き合いしていこうと、日々思って生きていけば、
それは立派な修行になっているんだよ、とひとりさんは教えてくれたのです。
笑って無敵の人生を歩く…
すこぶる楽しい修行です。
この歳になってこんなに充実した楽しい日々が送れていることに感謝しています。
本当にありがたいことにお金には困らなくなりました。
体も超元気です。
今年は、納税額で、娘に負けてしまいました。
生死をさまよった娘が、ここまでになってくれたかと思うと、
なんともありがたく胸が詰まる思いです。
今あちこちで講演する毎日です。
私はつくづく思います。
なんでこんなに幸せになっちゃったのか、
我が師、斉藤ひとりさん、
私が生まれてこのかた会ったことのない魅力的な人に出会って、私の心に奇跡が起きました。
そして幸せになったのです。
みなさん、一緒に、笑って無敵の人生を歩きましょう。

斉藤一人さんの無敵の人生 3

2009-07-01 19:47:05 | 
〈3日目〉

さてどうしたものか、私は3日目の朝、考えあぐねていました。
話は火事になった所からの続きでした。
この続きを話すことは、私の娘の話をすることでした。
「あまり人に話す事じゃないよ、これ以上はやめよう」
そう言った私に家内は
「いいわよ、話したって。私達何も悪いことしてないもん。
一生懸命やってきただけだもん」
と言いました。
こんなについていない私と一緒にいて、なんとかやってこれた家内は、
きっと強運の持ち主に違いないと思っていました。
その家内が言うのならと、その日も私は喫茶店に向かいました。
火事で全焼した家を建て直すために、退職金をあてに会社をやめる事を決心しました。
やめると言い出した私に、社長は烈火のごとく怒りました。
「なぜやめる?」と何度も聞かれましたが、絶対に言いませんでした。
あまりの怒りに、ますますやめる勇気が出たほどです。
この社長は、そろばんの後も、簿記をやれと言い、
簿記もしたことがなかった私は、めちゃくちゃ言われ、
そろばんの時と同様、毎晩仕事が終わってから布団の中で勉強しました。
簿記は、そろばんとは難しさが違います。
できるようになるまで
「まだできないのか!」
と毎晩嫌味を言われ、歯をぎりぎり噛むような毎日でしたから、
この社長と離れられると思うと、退職でさえ嬉しかったものです。
レストランをやめた後、私は親友と和菓子の会社を始めました。
最初は、うまくいきませんでしたが、
なんと5年で、和菓子屋は、伊豆で1番の売り上げをあげる店になりました。
私達にも待望の子どもができました。女の子でした。
ところが、娘が5年になった時、原因不明の難病を発症したのです。
ゆっくりと背骨が曲がっていく病気で、中学になると大きな手術をすることになりました。
呼吸器の障害も起き、入院は長引き、コツコツ貯めていたお金はあっという間に底をつきました。
大金が必要でした。
和菓子屋は順調でしたから、私は当然入院にかかる費用を融通してもらえるものと思っていました。
ところが、親友だと思っていた彼は、我が家の緊急事態にまったく手を貸してくれませんでした。
「どうしても金が欲しい」そう食い下がる私に、
彼は「では会社から手を引け」と条件を出しました。
会社は彼のものになりました。
あの時の悔しさを私は忘れることができませんでした。
正直、一人さんに会うまで、恨んでいました。
ですから、この喫茶店は、我が家に残ったなけなしの最後の財産だったのです。
「あとはもう皆さんが知ってる、この暇な喫茶店が残っただけです」
さすがに、カウンターのお客さんも、言葉を失っていました。
「なんでマスターだけそんな目に遭うんだろうな。
でも最後の財産のこの店がこんなじゃ、マスターの苦労は
まだまだ続くってことか…」
その時です。一人さんが言ったのは。
「ねぇマスター、この苦労、やめにしようよ」
あんまり真面目な顔で言うので、私は笑ってしまいました。
私はこの若いお客様は、やっぱりわかっていないんだな。経験がないんだな、そう思いました。
「しなくていい苦労ならしませんよ。
でもしょうがないでしょう。
苦労なんて天から降ってくるようなものですから。
私だけじゃないでしょう。
みな苦労して苦労して、だから、
神様がいつか幸せにしてくれる、そう思うからみな頑張るわけでしょう」
一人さんは
「そうじゃないよ。苦労の先には苦労しかないんだよ」
と言うのです。
「確かにマスターの人生は大変だったと思う。
だけど、よく整理してご覧よ。
子どもの頃の苦労と、大人になってからの苦労は違うんだよ。
それから苦労と成功は別なんだよ。
苦労はやめられるんだ。
そうしたら、幸せになれるんだよ。
人間はね、幸せになる義務があるんだよ。
マスターも苦労をやめなきゃダメだよ。
私がやめる方法を教えてあげる。
やめるのはマスター本人だけど、やめる方法なら知ってるから」
そう言うと一人さんは帰って行ったのです。
店全体がぐらっと揺らいだような感じがしました。


斉藤一人の無敵の人生 2

2009-07-01 19:46:07 | 
2日目〉

面白くない私は次の日も喫茶店に行きました。
カウンターの客も、続きが見たかったのでしょう。来ていました。
30くらいの上品な紳士は、その日も、真っ白な大きなジャガーに乗ってやってきて、
定位置に座り、本を読み始めました。
カウンターの客が、昨日の続きに持ち込もうと
「ねぇ旦那、どんな苦労をしたら、そんな成功するんだい」と聞きました。
「それは教えられないな。だって俺は苦労をした事なんかないんだから」
私はあきれました。「苦労しないでどうやって成功するんですか」教えて欲しいものです。
今日は早くも頭に血がのぼっていました。
だってそうでしょう。誰もしたくて苦労してるわけじゃない。
苦労がやってくるんだから、仕方ない。
私だけじゃない。皆世の中、そうやって苦労に耐えてやっている。
カウンターの客が言いました。
「マスターはこんなに苦労して幸せになれないのに、
この人は苦労なしで成功したって言う。
マスター、あんたの苦労をこの紳士に話してみなよ。
マスターとこの人の違いはなんなのか、比べてみればいいんじゃないの?
なんでマスターだけ報われないのか」
私は最初、嫌でしたが、ポツリポツリ話し出しました。
私の家は旅館でしたが、3歳の時、父が死に、葬儀がすむと父の親戚がやってきて
、母と兄と私と弟を追い出してしまいました。
母は小さい子ども3人をかかえて食べていけるはずもなく、
兄は父方の親戚に預け、弟と私は母方の親戚に預け、住み込みの仕事に出ました。
弟には障害があり、預けられた家の子どもがいつもいじめていました。
いくら僕がやめろと言ってもやめませんでした。
弟はいつも泣いていました。悔しくて僕もいつも泣いていました。
母は月に1度生活費をとどけにきました。
それが母に会える唯一楽しみな日でしたが、母は親戚に気を使って、
いつも1~2時間しかいませんでした。
ある時は、母をひきとめたくて、金属を飲み込んだ事もありました。
母は心配して朝、ウンチと一緒に出るまで一緒に寄り添ってくれましたが、
そのおかげで次の月の休みはもらえませんでした。
その家の子どもが「まぬけ、まぬけ、自分のせいでこうなった」とはやしました。
中学になると、学費もかかるために、
東京にでて、レストランの社長の家に預けられました。
中学卒業したら、そこで働くという条件で母が話をつけたようでした。
預けられてすぐに、社長は
「ご飯を食べたか」と聞きました。
「いただきました。ご馳走さまでした」というと、
「それだけか、ご飯を食べさせているのにお返しを考えないのか、
なんて気の利かない奴だ!」そう言って怒りました。
私には毎日レストランの床に、
はいつくばって床みがきをする事やトイレ掃除、
並木道の掃き掃除などが課せられました。
社長はいつも怒っていました。
そろばんをしろ!と言われ、した事がなかった私は
「馬鹿か!役立たず」と怒られ、その日から毎晩そろばんを練習しましたが、
先輩達にそろばんの音がうるさいと叱られ、
ふとんをすっぽりかぶり練習しましたが、
それでも音がもれるからと、ふとんの上から蹴られる毎日でした。
いつも怒っている社長が嫌いでした。
毎日嫌な事を言われました。我慢して我慢して耐えました。
ここを出たくてしょうがありませんでした。
のちに、母と兄とわずかなお金を貯めてやっとの事で
小さい自分達の家を建てました。
でも台風で大変な被害に遭い、
私の貯めていた少しのお金もすべて使って修繕を済ませたと思ったら、
障害のある弟の失敗で、その家が全焼してしまいました。
私は家を建て直すために、退職金をもらおうと、とうとうその会社をやめました。
時計は11時をまわっていました。
みんなが帰り支度を始めました。
一人さんも帰り支度をしながら、こんな事を言いました。
「世の中には避けられない苦労ってのがあるよね。
子どもの時の苦労は避けられないよ。
でも大人になったら、苦労というのは、やめる事ができるんだよ」
苦労に違いなんかあるんだろうか。
そんな話聞いた事がありません。


斉藤一人の無敵の人生

2009-07-01 19:45:35 | 

斉藤一人の無敵の人生

斉藤一人さんに出会って私の人生が変わりました。
私の心に奇跡が起きました。一人さんに会う前の私はこうではありませんでした。
肉体的には今よりずっと若かったけれど、気力も快活さも勇気も、
この体からは湧き出てはきませんでした。
ひとつ問題を解決すると、また問題が起きる。
なんとか解決すると新しい事件がまた起きる。
私には苦労の種がずっとついてまわっているようでした。
ずっとそんなでしたから、私はある意味開き直ってもいたのです。
俺の人生なんかそんなものだ。
でも50代半ば過ぎにして長者番付に載る事になりました。
さらに10年。あれはまぐれではありませんでした。10年ずっと載っています。
なんでこんなに幸せになっちゃったんだろう。
つくづく思っています。
私は今年で70歳になりますが、どんどん元気になっていく気がします。
今思うと、それまでの私は、幸福感というものを感じた事がありませんでした。
そんな私に一人さんは教えてくれたのです。
「幸せになるには、幸せになる考え方があるんだよ」
なろうと思ってなれるとは思ってもみませんでした。
初めて一人さんに出会った時、私は40も半ばを過ぎていました。
とにかく私の人生はツイてませんでした。
そんな私が、一人さんと出会って、変わったのです。
幸せになれたのです。たった4日間の出来ごとでした。
これを読んで幸せになれないはずがありません。
あれだけツイてなかった私が言うのだから間違いありません。

〈1日目〉

そもそものきっかけは、私たち夫婦が開いた喫茶店「ピクニック」、
この日本一暇な喫茶店に、あの人がやって来たのです。
私にすれば、この店は背水の陣でした。
親子3人の生活がかかっていました。
しかしお客さんはきませんでした。
私は家内に店を任せ、働きに出なければなりませんでした。
私は営業まんをしながら、たまにマスターとして店に出る、
二足のわらじをはくようになったのです。
家内が言うには、毎日不思議な客が来る。というので、ある日見に行きました。
年配の客を予想していたら、来たのは、
30くらいの若い紳士でニコニコ笑いかけてくる。
でもこの紳士の言う事が私にはかなりこたえたのです。
その紳士がいる時に、カウンターにいた別の客が
「しかし、こう暇なら、この店もあぶないよな、マスター」と嫌な事を言いました。
「ま、そのうちいい事あります。楽あれば苦あり、というでしょう」
と私は話をうまく流したつもりでした。
ところがその若い紳士が言いました。私に向かって真剣な顔でした。
「マスター、それは違うよ。苦あれば楽ありって言うけど、
苦しい事の次には苦しい事しか来ないんじゃないかな」
そして、私にこう聞いたのです。
「幸せな人はなぜ幸せかわかるかい?」
私は幸せなんて、何年も口にした事がありませんでした。
「幸せな人はね、幸せな考え方をするから幸せなんだよ」
じゃあ何かい!苦労をする考えをするから苦労が続く?
まるで私が自分で苦労を背負い込んできたような言い方です。
冗談じゃない!
何を言ってるんだ!私が苦労してきたのは、私自身のせいだって言うのか。
私はだんだん頭に血がのぼっていきました。
それが若き日の斉藤一人さんと私との奇妙な出会いでした。