今日は千早峠を越え、五条まで。
そう、千早峠~五条への道。
コアな幕末ファンならご存じ、「天誅組が駆けた道」ですね。
・・・といっても、幕末史の中でも、「天誅組の変」はかなりマニアック。
私も地元ゆえに興味を持って調べ(天誅組は、わが地元狭山藩にも立ち寄っている)、いろいろ知った次第でございます。
歴史の本などでも、たいてい、サラッと一言触れられている程度。
いや、一言も触れられていないこともしばしば。。。
ちなみに昨日の大河ドラマ「晴天を衝け」で、主人公のセリフに『天誅組』が出てきたときは、ちょっとテンション上がりました。
なので、今日、行こうと思い立ったわけです。
天誅組の変(文久3年(1863年))とは、尊王攘夷派による初の武力蜂起とされています。
その5年後に明治維新となったことから、維新の魁とも呼ばれています。
天誅組の大将は、公卿中山忠光(明治天皇の叔父にあたる)
総裁は、土佐藩出身の吉村虎太郎(坂本龍馬らと並ぶ土佐四天王の1人)
彼ら天誅組は、孝明天皇の大和行幸の先鋒隊として、幕府天領であった五条代官所を襲撃、代官の首をはね、五条を天朝直轄地とする旨を宣言したのでした。
五条代官所は、現在の五条市役所です。
さて、ここまで見ると、かなりのビックネームによる、相当エポックメイキングな出来事ですよね。
それがなぜ、あまり知られていないのか・・・。
その理由は諸説ありますが、結論から言えば、早まり過ぎたことかな、と。
というのは、五条代官所襲撃の翌日、幕末の大事件「8月18日の政変(長州藩と攘夷派公卿の失脚)」が起こったのでした。
これにより、天皇大和行幸は中止。
なんと一夜にして天誅組は大義名分を失い、暴徒扱いされることとなったのです。
そもそも、誰も先鋒隊など頼んでいませんし、もちろん代官所を襲撃することなど頼んでいません。
たしかに孝明天皇は攘夷派ですが、倒幕の意思などなかったと言われています。
つまり、理念先行で、完全に先走っていたのでした。
しかも、当時の五条代官は、世にいう悪代官などではなく、皆から慕われる人格者だったとも言われています。
こうなると、完全にテロリストですね。。。
実際、天誅組への評価は、様々です。
前述のように「維新の魁」、そして「志士の想い」をカッコよく描かれることも多いです(とくに地元やゆかりのある地域では)。
一方で、杜撰な計画で行動したテロリストとの評価も。。。
いずれにせよ、その後の天誅組は、猛烈な追討を受けます。
十津川郷士1000名程を集めて抵抗するあたり、見せ場はあったようですが、結局はほどなくして壊滅。。。
でも、十津川や吉野周辺には、いたるところに天誅組の足跡が残っているので、また行ってみたいな、と思っております。
以上、くどくど長文となりましたが、天誅組についてでした。
※コミック「風雲児たち(著:みなもと太郎)」を全巻制覇し、最近、にわかに幕末に興味を持っております。
さて、今日の出発は、林道五條線から。
金剛山ロープウェイ駐車場から少し下って、ババ谷入口のほぼ向かい側ですね。
そう、今日はなんと、金剛山麓まで行ってきました。
ここまで来たなら金剛山に登れよ、という話ですが、まだ緊急事態宣言中につき、自粛しております。。。
でも、さすがに1ヵ月以上も我慢して、大阪の感染者数もかなり落ち着いてきていることから、そろそろ解禁してもいいかな、と
思っております。
でも今日は、グッと我慢して、金剛山とは逆方向へ。
で、林道に入ると、壊れたジープ(?)がお出迎え。
林道は歩きやすく、途中、分かれ道がいくつもあるも、そのまま道なりに行けば、迷うことはありません。
本当に気持ちよく歩ける道でした。
まぁ、今日は天気が良かったせいもありますが、緩やかで、見通しも良く。
そして30分くらいで、千早峠に到着しました。
そのままダイトレで金剛山頂へ行く道(林道五條線~ダイトレルート)もありだな、と思った次第です。
かなり大回りになりますが、ゆっくり歩きたいときなど、一つの選択肢ですね。
で、千早峠から五条に向かうわけですが。。。
それまでの歩きやすい道から一転、草が生い茂っている細道で、なかなか不快です。
草をかき分け、蜘蛛の巣を払いながら、身をかがめて歩いていきます。
途中、行き止まりか、というくらいに草が生い茂っています。
途中からは舗装された道となるのですが、それでも、草木の生い茂り様は、なかなかのものですした。
天誅組が駆けた道、とアピールしている割には、まったく整備されておらずです。。。
髪の毛が蜘蛛の巣でネチャネチャになるくらい、ヒドイものでした。
不快なり! ←大河ドラマのパクリ(分かる人には分かる)
まぁ、天誅組はもっと大変だったんでしょうが。
で、我慢してしばらく行くと、310号線に合流。
そこからは国道をテクテク歩き、五条駅まで。
千早峠からは2時間弱といったところでしょうか、、、今日は暑い中、スッカリ日焼けしました。
途中、JAの直売所らしきところで、五条で有名な(?)パン屋さん、ビルケの名物「タマゴサンド」を購入。
それを吉野川を眺めながらいただくという、至福の時を過ごしました。
そう、千早峠~五条への道。
コアな幕末ファンならご存じ、「天誅組が駆けた道」ですね。
・・・といっても、幕末史の中でも、「天誅組の変」はかなりマニアック。
私も地元ゆえに興味を持って調べ(天誅組は、わが地元狭山藩にも立ち寄っている)、いろいろ知った次第でございます。
歴史の本などでも、たいてい、サラッと一言触れられている程度。
いや、一言も触れられていないこともしばしば。。。
ちなみに昨日の大河ドラマ「晴天を衝け」で、主人公のセリフに『天誅組』が出てきたときは、ちょっとテンション上がりました。
なので、今日、行こうと思い立ったわけです。
天誅組の変(文久3年(1863年))とは、尊王攘夷派による初の武力蜂起とされています。
その5年後に明治維新となったことから、維新の魁とも呼ばれています。
天誅組の大将は、公卿中山忠光(明治天皇の叔父にあたる)
総裁は、土佐藩出身の吉村虎太郎(坂本龍馬らと並ぶ土佐四天王の1人)
彼ら天誅組は、孝明天皇の大和行幸の先鋒隊として、幕府天領であった五条代官所を襲撃、代官の首をはね、五条を天朝直轄地とする旨を宣言したのでした。
五条代官所は、現在の五条市役所です。
さて、ここまで見ると、かなりのビックネームによる、相当エポックメイキングな出来事ですよね。
それがなぜ、あまり知られていないのか・・・。
その理由は諸説ありますが、結論から言えば、早まり過ぎたことかな、と。
というのは、五条代官所襲撃の翌日、幕末の大事件「8月18日の政変(長州藩と攘夷派公卿の失脚)」が起こったのでした。
これにより、天皇大和行幸は中止。
なんと一夜にして天誅組は大義名分を失い、暴徒扱いされることとなったのです。
そもそも、誰も先鋒隊など頼んでいませんし、もちろん代官所を襲撃することなど頼んでいません。
たしかに孝明天皇は攘夷派ですが、倒幕の意思などなかったと言われています。
つまり、理念先行で、完全に先走っていたのでした。
しかも、当時の五条代官は、世にいう悪代官などではなく、皆から慕われる人格者だったとも言われています。
こうなると、完全にテロリストですね。。。
実際、天誅組への評価は、様々です。
前述のように「維新の魁」、そして「志士の想い」をカッコよく描かれることも多いです(とくに地元やゆかりのある地域では)。
一方で、杜撰な計画で行動したテロリストとの評価も。。。
いずれにせよ、その後の天誅組は、猛烈な追討を受けます。
十津川郷士1000名程を集めて抵抗するあたり、見せ場はあったようですが、結局はほどなくして壊滅。。。
でも、十津川や吉野周辺には、いたるところに天誅組の足跡が残っているので、また行ってみたいな、と思っております。
以上、くどくど長文となりましたが、天誅組についてでした。
※コミック「風雲児たち(著:みなもと太郎)」を全巻制覇し、最近、にわかに幕末に興味を持っております。
さて、今日の出発は、林道五條線から。
金剛山ロープウェイ駐車場から少し下って、ババ谷入口のほぼ向かい側ですね。
そう、今日はなんと、金剛山麓まで行ってきました。
ここまで来たなら金剛山に登れよ、という話ですが、まだ緊急事態宣言中につき、自粛しております。。。
でも、さすがに1ヵ月以上も我慢して、大阪の感染者数もかなり落ち着いてきていることから、そろそろ解禁してもいいかな、と
思っております。
でも今日は、グッと我慢して、金剛山とは逆方向へ。
で、林道に入ると、壊れたジープ(?)がお出迎え。
林道は歩きやすく、途中、分かれ道がいくつもあるも、そのまま道なりに行けば、迷うことはありません。
本当に気持ちよく歩ける道でした。
まぁ、今日は天気が良かったせいもありますが、緩やかで、見通しも良く。
そして30分くらいで、千早峠に到着しました。
そのままダイトレで金剛山頂へ行く道(林道五條線~ダイトレルート)もありだな、と思った次第です。
かなり大回りになりますが、ゆっくり歩きたいときなど、一つの選択肢ですね。
で、千早峠から五条に向かうわけですが。。。
それまでの歩きやすい道から一転、草が生い茂っている細道で、なかなか不快です。
草をかき分け、蜘蛛の巣を払いながら、身をかがめて歩いていきます。
途中、行き止まりか、というくらいに草が生い茂っています。
途中からは舗装された道となるのですが、それでも、草木の生い茂り様は、なかなかのものですした。
天誅組が駆けた道、とアピールしている割には、まったく整備されておらずです。。。
髪の毛が蜘蛛の巣でネチャネチャになるくらい、ヒドイものでした。
不快なり! ←大河ドラマのパクリ(分かる人には分かる)
まぁ、天誅組はもっと大変だったんでしょうが。
で、我慢してしばらく行くと、310号線に合流。
そこからは国道をテクテク歩き、五条駅まで。
千早峠からは2時間弱といったところでしょうか、、、今日は暑い中、スッカリ日焼けしました。
途中、JAの直売所らしきところで、五条で有名な(?)パン屋さん、ビルケの名物「タマゴサンド」を購入。
それを吉野川を眺めながらいただくという、至福の時を過ごしました。
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