引きこもり中のため、新聞ネタが多いです。
昨日は5日ぶりにおじいちゃんちへ。
いつも1時間ほど家では読めない朝日新聞を読んで帰る。
(たまにそうじするけど)
昨日は心を打たれる記事が多く目についた。
破綻した夕張市の市民病院に来られた村上先生の話。
私にとっても医療は身近な問題で、私の通院先もいろいろ大変なようだし、この大阪全体でも医療崩壊の兆しがあちこちにある。
最近はいろんなドクターのブログを読む機会も増え、ここ数日は福島の産婦人科で起きた事件の初公判のことがあちこちでアップされていていろいろ考えさせられる。
そしてそれらの延長線上におそらく夕張の問題も地域医療の問題も存在するのだろうけれど、一般人の私たちはもっとも身近な問題として考えていかないといけないかも知れない。
多くの職員が去っていった夕張市にやってきて、病院という空間をベースにして医療とその周辺領域の視点から市民の暮らしの再建を目指すという。
過酷な状況にあっても、村上先生のまなざしは優しい。
そんな村上先生の挑戦を心から応援したいと思う。(夕張市民病院副院長松山先生のブログで経過を知ることができると思います)
マハトマ・ガンジーの孫娘。
ガンジーのことはよく知らないけれど「非暴力・非服従」という言葉は有名。
記事もサラッと読んだので詳細は覚えていないけれど、恨みや憎しみ、報復からは何も生まれないと。
ああ、そういえば夕刊の水谷先生の連載にもいじめた生徒を登校停止にしても何も変わらないと書いてあったな。
それは同じようなことを意味しているのだと思う。
今は【加害者】という言葉と【被害者】という言葉でひとくくりにされてしまうけれど、【家庭】【学校】も含め、いじめは事例別に慎重な分析が必要なはず。
加害者への何らかの対応は必要だけれど、それは登校停止ではないと私も思う。
挫折を知らないエリートや挫折を克服してきた強い人たちの集まりで決めたことは、どこかずれているような気がする。
強者の論理はあくまでも強者の論理だと思う。
そして盲目の弁護士の話。
貧困や障害に立ち向かっていることもすばらしいけれど、この人を支えてきた多くの人の存在がすばらしい。
克服しなければならないのものは障害よりも、その人の心の中にあって、その心に多くの人が集まるのだと思う。
障害や病気の受容にしろ、いじめのもんだいにしろ、独りで生きているのではないと気づくこと、知ること、感じることが、少しでも強く前向きに生きていく方法になるんじゃないのかな…
ただしそれは私自身にも難しい課題なので、時々こうして考える。
朝刊を見終わって、今度は夕刊を開いたら、
お?見慣れたリリーのペンの写真が…
【患者と生きる】というシリーズで、1型の患者さんの連載が始まったよう。(6回)
初回は、透析中の患者さんが妊娠したという内容だった。
透析をしながら出産って可能なんだろうか?
とりあえず続きを読んでいってみよう。
※朝刊と夕刊が逆でした(2007/2/1)
そして今朝。
我が家は新聞を開いて、ちょっとした話題で盛り上がる。
これはchieeネタだけど、とりあえずは会った人にだけのお楽しみのお知らせにしようかなっと。
おちあい先生;
ブログで紹介してくださってありがとうです。
保育所では大騒動だったそうです^^;
昨日は5日ぶりにおじいちゃんちへ。
いつも1時間ほど家では読めない朝日新聞を読んで帰る。
(たまにそうじするけど)
昨日は心を打たれる記事が多く目についた。
破綻した夕張市の市民病院に来られた村上先生の話。
私にとっても医療は身近な問題で、私の通院先もいろいろ大変なようだし、この大阪全体でも医療崩壊の兆しがあちこちにある。
最近はいろんなドクターのブログを読む機会も増え、ここ数日は福島の産婦人科で起きた事件の初公判のことがあちこちでアップされていていろいろ考えさせられる。
そしてそれらの延長線上におそらく夕張の問題も地域医療の問題も存在するのだろうけれど、一般人の私たちはもっとも身近な問題として考えていかないといけないかも知れない。
多くの職員が去っていった夕張市にやってきて、病院という空間をベースにして医療とその周辺領域の視点から市民の暮らしの再建を目指すという。
過酷な状況にあっても、村上先生のまなざしは優しい。
そんな村上先生の挑戦を心から応援したいと思う。(夕張市民病院副院長松山先生のブログで経過を知ることができると思います)
マハトマ・ガンジーの孫娘。
ガンジーのことはよく知らないけれど「非暴力・非服従」という言葉は有名。
記事もサラッと読んだので詳細は覚えていないけれど、恨みや憎しみ、報復からは何も生まれないと。
ああ、そういえば夕刊の水谷先生の連載にもいじめた生徒を登校停止にしても何も変わらないと書いてあったな。
それは同じようなことを意味しているのだと思う。
今は【加害者】という言葉と【被害者】という言葉でひとくくりにされてしまうけれど、【家庭】【学校】も含め、いじめは事例別に慎重な分析が必要なはず。
加害者への何らかの対応は必要だけれど、それは登校停止ではないと私も思う。
挫折を知らないエリートや挫折を克服してきた強い人たちの集まりで決めたことは、どこかずれているような気がする。
強者の論理はあくまでも強者の論理だと思う。
そして盲目の弁護士の話。
貧困や障害に立ち向かっていることもすばらしいけれど、この人を支えてきた多くの人の存在がすばらしい。
克服しなければならないのものは障害よりも、その人の心の中にあって、その心に多くの人が集まるのだと思う。
障害や病気の受容にしろ、いじめのもんだいにしろ、独りで生きているのではないと気づくこと、知ること、感じることが、少しでも強く前向きに生きていく方法になるんじゃないのかな…
ただしそれは私自身にも難しい課題なので、時々こうして考える。
朝刊を見終わって、今度は夕刊を開いたら、
お?見慣れたリリーのペンの写真が…
【患者と生きる】というシリーズで、1型の患者さんの連載が始まったよう。(6回)
初回は、透析中の患者さんが妊娠したという内容だった。
透析をしながら出産って可能なんだろうか?
とりあえず続きを読んでいってみよう。
※朝刊と夕刊が逆でした(2007/2/1)
そして今朝。
我が家は新聞を開いて、ちょっとした話題で盛り上がる。
これはchieeネタだけど、とりあえずは会った人にだけのお楽しみのお知らせにしようかなっと。
おちあい先生;
ブログで紹介してくださってありがとうです。
保育所では大騒動だったそうです^^;
「おぉぉ~、ええ写真や。タイトルもいかしてる」
と言ってました。
素直に撮られた写真。
本当にスバラシイ記念になるね。