一度はお話しを伺いたかった。
医師であることや紛争中のアフガニスタンて活躍されていることは知っていたが、何千もの井戸を掘り、水路を作り、砂漠を畑にし、何万にんもの雇用をうむ、ソコまでは分かっていなかった。
魚を与えるのではなく、釣りかたを教えろということわざ。
先進国が発展途上国の援助をするときは、ことバランス感覚が大事で、一方的に与えるたけでは、何も解決しないということを中村先生は誰よりも痛感していたのでしょう。
今回、中村先生が私の生まれ故郷、若松で6歳まで生まれ育ったと知った。
祖父である玉井金五郎さんの家はすぐ近くで、中学のクラブの先輩にお孫さんがいたのを、思い出す。
(この時中村先生はすでに若松にはおられないけれど。)
chieeに医療関係の仕事に就くことを提案したのも、中村先生の影響も少なからずある。
社会貢献をしてほしい。それが私の願い。
いろんな人が先生の意思を継ぐ…
中村先生のご冥福をお祈りいたします。