菜の花日記

小さい喜びがあれば幸せ

花も交代

2016年09月29日 | 日記
今朝、生ごみを出しに行ったとき金木犀の花の香りが、どこからか匂ってきた。

辺りを見回したが夏の花、百日紅が咲き残っているが金木犀は見当たらない。

花の世界にも交代する時期がある。夏の終わりにさりげなく散って、いつの間にか咲きだす秋の花。秋の七草も咲きそろって、里山にも紅葉が始まっているようだ。生あるものは無くなり、いつの間にか繰り返される。

相変わらず家の中の生活が続いている。少しでも痛みが弱いと「あっ治る?」と期待してはがっかりする。病気から来る身体の痛みは不安やらストレスにも繋がる。かって心が傷ついて苦しい思いをしたことが有った。睡眠障害やら下痢やらを抱えながら3年の月日を生きた。考えるに大したことではないのに「バカ丸出しだった」人間とは厄介なものである。

近頃、「終活を始めた」という人に出合うことがある。いいことだとは思うが「医療のやめ時」も考える。
年齢にもよるが、苦しい治療に耐えながら逝くよりは、自分らしく自然体で逝きたいと思っている。それには「在宅診療」「在宅医」が身近にいないと難しい。その日、その日を大切に・・・それしかないようにも思うのだが?。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護申請

2016年09月24日 | 日記

歩けなくなって4ヶ月近くなる

その間に花の季節というのに外に出ることが出来なかった

とうとう今年は「カラス瓜の花」を見ることは夢と消えた

長い一人暮らしの延長で「介護申請」の手続きを勧められた

少しためらいがあったのは事実だったが指示に従った

介護の世界に行政の力を借りるのは厳しい現状があります

利用するかしないのかは状況による

自分としてはまだ立ち直ることを捨ててはいない

が、最後の始末をいづれは付けなくてはいけない

その時家族が困らない様「転ばぬ先」の杖になるやもしれない

そんなことを考える自分が目の前に来てしまった

老後とは意外に短いのかもしれない
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新米のちょっといいお知らせ

2016年09月21日 | 日記
食欲の秋。何を食べても美味しい季節ですね。

関東平野などの稲刈りも終わって、いよいよ山間部の稲刈りです。

新潟産のコシヒカリ、コシヒビキなどが有名です。その他に29年度産デビューで、この秋から「新之助」という銘柄がお目見えするそうです。

「新之助」は、他の品種に比べてご飯が冷めても硬くなりにくくとても美味しいそうです。
朝炊いたご飯をおにぎりにして冷めた頃食べる「新之助」が甘みも有って最高だとか!

ナベで炊くご飯炊き。
ナベに米と同量の水を入れ40分つけておく。ふたをしないで火にかけ、沸騰したらふたをして弱中火で炊き上げる。どんなお米でも美味しく炊ける、お勧めとかお試しあれ。

まだ一般には手に入らないようです。一度は食べてみたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑さ寒さも彼岸まで

2016年09月18日 | 日記
明日から彼岸の入り
朝夕吹く風は涼しさを感じ、暑さから逃れたいと思った日々もいざとなると「過ぎゆく夏を」淋しさが誘います。寝具もタオルケットに毛布が加わりました。

今年は、夫の旅立ちの手伝いをさせてもらいました。ほっとしたのもつかの間、わが身に不自由な痛みを味わうことになりました。長い人生には思いがけず忍び寄る暗い影が待ち受けているものです。「老いて人が生きるということ」の深い意味を思い知るのでした。

庭の雑草たちには好きに育ってもらいました。結果、人が通れるところ以外は草ぼーぼー伸び放題です。そのお蔭でしょうか、夜になると虫たちの声が賑やかに聞こえてきます。

               

               

               

小さいトカゲが速足で庭石の下に隠れました。赤トンボ(アキアカネ・ナツアカネ)が花壇の柵に一休み、嬉しい出来事でした。こうして秋は深まりいくのです。

おまけです。長男の作った昨日の夕飯のラーメン、ごはんがつくのかな。Facebookに載っていたのを拝借しました、美味しそう。

                    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

iphone

2016年09月15日 | 日記
長い事老人施設と私を結ぶための「携帯電話」を利用していた。

もう7か月も施設とは連絡の必要がなくなった。

13年近く使った携帯電話も近々使えなくなるらしい。普段ほとんど着信音は鳴らない。

人との待ち合わせなどには便利である。外出しない今となっては不要に近い存在である。

今日、次男からiphoneを貰った。余ってきたようだ。

またまた覚えることが増えた。息子は「簡単だよ」という。いろいろ教わった。

さて、どうなる事やら「これもボケ防止」に役立てたいとは思うのだが・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする