岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

4 沢知恵 大島青松園コンサート2024 その4

2024-08-27 16:19:28 | 沢知恵さん
昨日アップしました「その3」を読み返しますとミスも多く慌てて修正しました。ごめんなさい。
コンサートについてのお話を続けます。
曲リストを再掲いたします。
 
「沢知恵 大島青松園コンサート2024」の曲リストです。
1 しあわせなら手をたたこう
2 ようこそ大島へ
3 みどりクラブの歌
4 みんなの庵治第二小学校
5 あの頃にとどけ
6 盲人会々歌 松本常二さんと
7 こころ
8 新良田教室の校歌 森和男さんと
9 今日もまた
10 若者のすべて
11 ほうちこっか 中川五郎さん
12 花はどこへ行った
13 しあわせのうた
アンコール 故郷 大島案内ひきうけ会社のみなさんと
 
沢さんのコンサートにいくつかの決まりごとがあります(あるそうです)。
私が知っているのは次の三つです。
・すべてのコンサートの構成が違う(曲リストが同一のコンサートがひとつもない)
・「こころ」は必ず歌う
・コンサート中に休憩がない
 
ということで曲リストの重要性がわかります。
一期一会のコンサートなのです。
そして、この曲リストをみれば、沢さんのこのコンサートに込めた思いが一目瞭然なのです。
 
前半はこの大島青松園コンサートに来なければ聴くことができない歌が続きです。
入所者の方も観客の皆さんもよくご存じの歌ばかりです(観客も複数回大島に訪れている人が多い)。
 
4.みんなの庵治第ニ小学校
大島にあります(2018年から休校中、庵治は大島に近い四国本島にある地名)。園を支えている職員の方のお子さんのための小学校です。
沢知恵コンサートがみんなの同窓会の場だったのです。卒業生が島のガイドをしてくれています。今回は欠席なので「大島案内ひきうけ会社のみなさん」(この島ゆかりの方)が案内を引き受けてくださいました。
 
今回のコンサートは3人のゲストが登場しました。
まず、6 盲人会々歌 松本常二さんと 
※地元の放送局のページにに松本さんが紹介されていました。こちらです。
※盲人会の活動は特筆されるべきものです。研究者の金貴紛さんが、「杖の友の会」(設立1932年)のことを書かれています。こちらです。
現在92歳、81年続く島の暮らしです。11歳で入所ですから戦争中です。患者のはずが自分たちで労働することでしか生活の糧を得ることができなかったと話される。強制労働だったとも。大島青松園には盲人会館があります。
 
7.こころ  コンサートの中心にはこの曲です。名曲です。特に歌詞に驚かされます。沢さんのコンサートに行けばどこでもいつでも聴くことができます。
キム・ドンミョン詩、キム・ソウン訳、沢知恵曲
一番です。
♬わたしのこころは湖水です
 どうぞ漕いでお出でなさい
 あなたの白い影を抱き
 玉と砕けて 船べりへ散りませう
4番です。
 わたしのこころは落ち葉です
 しばし お庭にとどめてください
 やがて風吹けば さすらひ人
 またもや あなたを離れませう
 
なんと清々しい愛の歌でしょう。キム・ドンミョンさんについてwikiには「教員生活を送りながら民族的悲哀の漂う抒情詩を多く残した」とありました。1900年~68年に生きた方ですから、キム・ソウンさん(1907年~81年)とは、交流があったかと想像します。ともに日韓(韓日)の文化の懸け橋だった方です。
 
8 新良田教室の校歌 森和男さんと
さっそうと舞台にある階段を上がりました。森さんは1940年生まれ。7歳で入所されています。全国ハンセン病療養所入所者協議会会長も務められています。新良田教室は長島愛生園にあった邑久高校の分校です。こちらに卒業生のインタビュー記事があります。
森さんは2期生だったと聞きました。その後大学を卒業し会社勤めも経験、島に戻ったそうです。
沢さんは「ハンセン病者と音楽」についての研究の第一人者です(ほかに研究している人を知りません)。岡山在住10年、瀬戸内海の三つの療養所を調べ尽くし失われそうになった園歌まで発掘しています。新良田教室の校歌もその一つではないでしょうか。卒業生である森さんさえ「うる覚え」の校歌が蘇ります。
 
また長くなりました。
 
続けていきます(-_-;)
 
お読みいただきありがとうございました。
 
 
 
ウクライナに平和を!
 
ガザを救え!
 
 
見出し画像は解剖台。海に打ち捨てられていたものを保存管理しています。
 


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