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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「亀田君的イベント」の落とし所と「芸能」関係者

2006-08-06 23:06:13 | 日本の仲間
今日のTBS~あっこにお任せ~を見ていたら亀田君が出ていた。
二人で面白おかしく試合のことを話していた。
ボクシングも芸能ネタになっていた。
亀田君も素になっていた。
TBSもこのような扱いが一番よいと思っているのだろう。
ボクシングがK-1やプライドのようになっていくというわけだ。
これはこれで別にかまわないが、ボクシングの見方は違ってくる。
ボクシングもショーということになる。
スポーツとショーや興行は分けて考えていたが、テレビ局にとって
その必要はない。
ようは視聴率が高ければよいということになる。
亀田君もそれを気にしていた。
このあたりは一般紙とは異なる。

政治も小泉以来劇場型になったといわれるが、これは表現がわかりにくい。
正しくは「芸能型」になったというべきだ。
芸能が政治に使えるというなら、テレビと小泉は蜜月関係にあるという
ことになる。
見よ。アメリカでの振舞いを。小泉はもっとも早くからのアメリカ芸能の
信奉者だ。その点が見えれば現在の政治文化状況は明らかになる。。

このようにみれば亀田君を応援している小池大臣は小泉の名代という
ことがよくわかる。協栄ジムとのつながりは私にはわからない。

さてこのように政治やスポーツが芸能化することはテレビ局会社に
とっては大変好ましいことだ。
まず批判する人間がいなくなる。
芸能人は版元であるテレビ局を批判できないからだ。
あの試合を見た芸能人でだれが批判したであろう。
「さんま」がなにかいっただろうか。
ここでは90%以上の観客(素人=普通の人)の目は単なる節穴となる。

これはテレビ局がよくいわれるように新しい権力になっていることの証しだ。
一方、政権はテレビ局をコントロールしようと細かなチェックを重ねている。
そしてそれは成功しつつあるように見える。

テレビ局は「コントロール下の不自由」に抵抗するという気持ちもないから
その場しのぎで時間を経過させる。
そこにはすでに緊張関係はない。

最後にテレビ局側が持っている宿命というものを考えてみよう。
それは1日20時間程度番組を続けなくてならないということだ。
それがどんなに大変なことか想像できるだろうか。
その大変なことを継続するためには、番組の垂れ流し、同じ画像の
繰り返し使用。陳腐化に耐えるように内容のリメイクの繰り返し。
過激化。そしてそのことが視聴者に与える効果は、サブミラル効果と
なってしまうことになる。意識しないでもそうなっている。

視聴者の今の姿は、テレビ依存症候群の中にいる。
テレビがないと寂しい。目や耳が寂しい。
マインドコントロールはカルトや北朝鮮の専売特許ではない。

亀田君がいるところはこのようなとても怖いところなのだ。




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