岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【家庭舎】その建物としての構造    石井十次40

2005-03-31 10:10:41 | 石井十次
それでは家庭舎のハード面について、十次はどのように考えて
いたのだろうか。
十次は、建築についても大いに興味があったようだ。
旅行する町々で建築物を見て歩いている。
音楽隊が各地を巡回する時も、その地の建物の観察を怠らなか
ったという。
岡山孤児院の建物は78棟に達したのであるから、もし十次が
建築家であったとしても十分なキャリアである。
十次は小舎制の最高水準の建物を建てたと考える。

家庭舎というが、いわゆる民家とは違う。普通の家庭に
子どもは10~15人はいない。当時の家族構成は3世代家族が
ほとんどだが、家庭舎は特別の形の2世代である。
必要とされる住居構造はまったく異なるのである。
しかしながら外観としては普通の民家に近い方がよいとも
いえる。

十次が、家庭舎の最終到達点としたのは「39年式新築塾舎」と
いわれている。これは明治39年に建てられて家庭舎という意味
だから、孤児救済を始めて20年目の年の建物である。
20年という十分過ぎるほどの蓄積があったのだ。

その「39年式新築塾舎」は岡山市東山に現存し、当時をしのぶ
ことができる。

この家庭舎はその特徴から「平屋建てコの字型廊下タイプ」※
と呼ばれている。文字通り平屋である(もっとも2階建の
建物もあるが、あくまで緊急収容型である)。
廊下はコの字になっている。周囲4辺の内の3辺が廊下と
いうことになる。
この廊下に囲まれた形で田の字に4つの居室がある。
(イメージが湧いてきましたか)

例えば、お寺の本堂は、回り4辺すべて廊下になっているが、
そのような感じに近い。廊下によって雨露がしのげる。
この仕様の利点は4つの部屋に他の部屋を通らずに入れること。
ということは夜中にトイレに連れていく時にどの部屋からでも、
廊下から直接連れ出すことができる。
また開口部が広いことになるので、部屋が明るい。
多くの人が短時間で出入りできる。
そして、もし火事などの非常時の場合に、各部屋から直接に
庭に飛び出すことができる。
田の字の居室は、襖を開けたり取り外して広く使うことが
できる。使い方によって自由にレイアウトしていたのでは
ないだろうか。

玄関から入ってみよう。
玄関をガラリと開けると、まず土間がある。
横の部屋は炊事場と主婦の居室があるが襖は閉じられている。
主婦以外は、児童の居室に上がる。居室の奥の壁には小さな
床の間があって、孤児院の規則などが掲げている。
居室の奥に向って3辺が廊下である。ただ床の間の壁がある
ので正面に廊下は見えない。見えない廊下の外側に厠が3つ
ある。理解していただけただろうか。
どの部屋からも廊下を通って厠に行くことができるが、直接
にはみえない。ということは臭気も居室に入りにくいというに
なる。

普通の民家に比べて収容人数が多いということでトイレも
増えている。配慮しなくてはならないことも多いのである。
また廊下には雨戸があるので、雨風を防ぎ、冬には寒さを
しのいだはずである。

20年間の成果が詰まっている「39年式新築塾舎」であるが、
ただ図面を見たり、建物に座っているだけではわからない。
実際に10人以上の子どもと一緒に生活することで、その使い
やすさが実感できたのではないだろうか。
この住まいとしての「39年式新築塾舎の素晴らしさ」を
テーマにした資料を、私は寡聞にして知らない。
建築界にとっても、魅力的で価値あるテーマと思うのだが。

※菊地義昭氏命名か?

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