岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『貧者を愛する者ー古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生』 ピーター・ブラウン著

2012-05-19 15:44:59 | 社会福祉の源流
戸田聡 訳 慶応義塾大学出版会 2012年4月刊

キリスト教的慈善がどのような経緯で誕生し歴史的展開をしてきたのか。
興味がある方は読まれていかがでしょうか。

ただ相当の忍耐が必要です。
我慢して60ページまで読み進むと、すっきりとしてきます。

そのすっきりさは、私たちが知っている19世紀以降のチャリティやフィロンソヒーの源流がどのように生れたかが理解できることから来ます。
ちなみに、フィラントローピアとは、免税対象となる慈悲深き施与のこと。
当時も今も免税措置というのは特別なことだったのですね。

富裕者と貧者という格差は、キリスト教信者や聖職者の中にもあります。
当然のことです。
イエス・キリスト自身、富裕者と貧者ともに分け隔てなく接しています。
一方、富裕者の天国への門は狭いとも言っています。

キリスト教徒、特に聖職者にとっては「貧者への配慮」は、公的特権の恩返しとみなされるようになってきます。
それは、「聖職者に対する目立たない統制手段として機能したのです」。
教会といえどもとても人間臭い話です。
4世紀の後半のことですが人間のすることは古今東西変わりません。
もちろん聖職という名の職業もです。
今の時代にもこの文章に違和感はありませんね。

もちろん、以下のような表現を読めば素晴らしい聖職者が多かったことも事実です。
「重い皮膚病の人々を、彼は平和の接吻で迎えることすらしました」
皮膚病ということになっていますが、これはハンセン病のことだと思います。

また市場の再分配については、
「富裕者たちに禁欲的放棄を勧めることによって、また、貧者への配慮の中心的存在として都市生活の中に修道院を組み込むことによって、富者の富を再分配することーこれが、この救貧の特徴だとされました」
修道院はそれまで都市から離れ、隠者の住みかであったようです。

クノドケイオン(異人宿泊所)は、プトーコトロフェイオンとも呼ばれ、貧者たち(プトーコイ)に養い(トロフェー)を与える場所でした。
このラテン語が、プワーとトロフィーの語源になっていることがわかります。

次の文章が核心のように思われた。
「特権を享受している者は自分たちの存在を共同体の中で見える形で表わすべきだという、人々の古くからの考えが、ローマ社会においてキリスト教的慈善を、コンスタンティヌスの治世とカイサリアのバシレイオスの活動を隔てる半世紀の間に、より際立ったものへと変えていきました」

カイサリアのバシレイオスの活動とは、「キリスト教国家によって教会に提供された特権に対する代償物」としての慈善活動の例です。

これは「貧者を治める者」としての司教が登場する前のことです。

これから第2章を読みます。
私にとっては興味深い図書です。

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