人がいきいきと生きていくことの大切さを佐藤さんが書いています。
メール第1信より転載します。
原文のままです。
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人がいきいきと生きていくためには
いきいきと生きるためには、衣食住が足りているだけでは十分ではありません。
社会の一員として、何かの役割をもちたい。
社会の一員と認められたく、仕事がしたい。
認知症になっても、仕事を持って働きたい。
働いたからには、少しでもいいから賃金をもらい、自分にもできることがまだあると自信をもちたい。
賃金はもらえなくとも、駅,公園の清掃のボランティアなど、人の役ににたてることを通してして人は自分の存在理由を確かめたい。
認知症になっても、できることをして、存在理由を確かめながら生きていきたい気持ちは、普通の人より人一倍強いです。
これからは、重度の人の介護だけでなく、軽度の認知症の人がいかに楽しく生活できるか、どのように生活支援をしていくかが、今後の課題であると思います。
アートセラピーで絵も描きたい。
沖縄旅行もしたい。
演劇やコンサートにも行きたい。
スポーツが好きな人は、家の外に出てスポーツもしたい。
認知症の人が豊に生きがいがいをもって生きるために、地域はどう変わるべきか
認知症の人が生き生き豊かに暮らすには、介護の通所介護施設やグループホームや医療の通所リハビリ施設や病院などに閉じ込めるのではなく、地域に出て行き、買い物をしたり、外食をしたり、喫茶店でコーヒーを飲みながらおしゃべりをして、認知症になる前と変わらない暮らしができるのが望ましい。
そのためには、まず、認知症という病気を正しく理解してもらい、認知症になっても暮らしやすいやさしい社会であることが重要になります。
例えばレジでお金を払うに時間がかかってもせかせるのでなく思いやりを持ちゆっくり待っていただきたい。
そのためには駅、スパーの支払窓口に高齢者、障害者、認知症本人の優先窓口を設けてもらいたい。
スーパーでは立ち止まり何かを探しているようなときは、何かお困りですかと声をかけてもらいたい。
認知症の人の中には、自分の感情をコントロールする能力が低下して、不当な扱いを受けると(いやな言葉と感じる時)我慢することなく大声を出したり、つついたりすり人もなかにはいるが、全ての認知症の人とが、そうするはけではない。
私は、今は感情をコントロールでき、普通の人と同じようにふるまうことができます。
認知症の人は、何か言われても反応をするまで時間がかかってしまい、『言っても通じない』と誤解されやすいが、時間をかければ十分言葉を理解する能力を持っているので、早口でまくしたてるのではなく、ゆっくり、時間をかけて伝える必要がある。
また、言葉でうまく表現できないこともあるので、何が言いたいのか、何を話したいのかと相手の気持ちを考えながら耳を傾けてほしい。
認知症の人を特別な人とみるのではなく、物事を理解するのに時間かかる人だと認識する知識をもってもらいコミュニティの一員として受け入れられることが大切であります。
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人がいきいきと生きていくことの大切さ。
人が幸せと感じるためには未来への希望が必要だと思います。
佐藤さんは、このような社会になってほしいという未来像を明確にお持ちです。
それは私たちが忘れがちなことであったり、迂闊にも気づいていないことであったりします。
謙虚に学ぶことの大切さを教えていただいています。