↑下園公園
朝から曇り空で、午後遅くになって小雨が降り出した。
公園の向かいの御園小学校の桜が、ちらほら咲いていた。
御園小学校は名城小学校と統合して丸の内小学校となった。
児童がいなくなって校舎もさびれてしまったが、校庭の桜は
例年通りに咲いてくれた。
袋町通り錦の道路を飾っていた椿は、色あせて盛りを過ぎている。
珍しい源平咲きは、間もなく桜と主役を交代する。
木曜日は円空仏彫刻の稽古日で、教室のある荒子観音寺で過ごした。
客殿の茂みで、鶯が盛んに鳴いていた。
梅は散ってしまったが、来週あたりは春本番を迎え、客殿の
満開の桜が楽しめそう。
満開の桜ももうすぐですね。
客殿のそばに桜があるのですね〜
来週あたりでしょうか、、
桜の開花が各地から届くようになりましたね。
来週あたりは気温も上昇し、満開の桜でお花見が
楽しめそうです。
いよいよ春本番が迎えられますね。
丸の内と聞くと東京の丸の内を連想します。
これから各地の桜が楽しめますね。何か
心華やぐ思いがします。
写真の「泥江縣神社」?古いもののようですね。
この学区の旧町名は、すべて錦と丸の内に
なってしまいました。
今は通りの名前に長者町や袋町、呉服町などが
往時の名残を留めているだけです。
泥江縣神社は、ビルの谷間にひっそり佇んでいます
が名古屋開府以前からある古社です。
広大な境内で、相撲や芝居の興行もあり、賑わった
ようですが、今はその面影はありません。
通りの名前に残っているだけでもよしと
しなければいけないのでしょうか?
古い町名をなくして、錦と丸の内に変えるメリットは
何でしょうか?
昔の名前からは歴史も感じられ、いいと思うのですが?
質問が多くてすみません!
戦後の区画整理に伴う町名変更で、都心部を中心に
変わりました。
栄とか名駅よりは、木挽町とか納屋町、茶屋町、
鍛冶屋町、矢場町の方が情緒があり分かりやすいです。
役所のご都合主義は、歴史を消してしまいました。