考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

追悼:粟谷菊生師の能

2006年10月29日 | 能楽
 菊生さんが亡くなったらしい。知らなかった。毎月取っている能楽情報誌で知った。
 数年前から、多少の事情で能を見ることをほとんどしていない。かつて、私は菊生さんの能を謡を楽しみにしていた。胸がときめく能であり、謡であった。

 粟谷菊生の能は、「情」に溢れた能だった。私が見ていたときでも既に70代で、細かいことが気になる人や見慣れない人には、少々鑑賞が難しかったかもしれない。彼の能は「見せる能」というより「感じさせてくれる能」だった。だから、こちらも心で見る。

 能の詞章は決まり切ったもので、誰が謡っても文言は同じである。しかし、それが粟谷菊生という人物を通すと、登場人物の心情が滲み出てきていた。能の主人公の思いは深い。彼らは容易には表現しきれない感情を抱いて登場する。粟谷菊生は、人がみな過去を背負い、情を持った存在であることを知らしめてくれた。人情の機微を肉声を通して、身体の僅かな動きを通して醸し出すのに長けていたから、彼が演じる人物は、自分の気持ちの喜びも悲しみも、深くありのままに享受しているかのように思われた。人間が生きている、或いは生きていたとは、こういうことなのだと感じさせてくれた能だった。
 能には、「地謡」という斉唱隊がいる。そのリーダーを地頭と言うが、粟谷菊生が地頭の地謡は、詞章が聞き取れなくても謡っている内容が伝わってきた。人間は普通、文言で理解をする。しかし、粟谷菊生が謡っていたのはただの文言でなかった。声の響きそのものが心情を表す「言葉」になっていた。ちょうど音楽が心情を表すかのように。

 粟谷菊生は、人間が好きで好きで堪らない人だっただろう。人なつっこい笑顔で、ロビーを見所(能楽堂の観客席)を歩き回る姿をしばしば目にした。老いたお弟子さんを大切にし、若い学生さんを恐い顔で叱っているのを見たこともある。
 そんな人柄が能に出ていた。

 ミーハーな私は、能の感想を書いてファンレターを出したことがある。気さくな人柄に甘えて、能楽堂で声を掛けたこともある。はがきも出した。喜んでくださったようだった。感想文の手紙には一度お返事をくださった。(筆まめらしい。)「能狂い ちょっと変な人 大好きです」とあった。大切な宝である。

 粟谷菊生の能と謡は、「心で感じる能」だった。
 ご冥福をお祈りする。