考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

使える英語力にいたる思考力の話

2014年02月25日 | 教育
 近頃、ある程度の英語が理解できて本当に良かったと思う。このネットの時代においては、検索すれば、或いは、適切な情報発信者の一人二人に到達していれば、そこから、それこそナマの英語の情報にたどり着けるからだ。私の方から英語で発信することはないだろうが、自分が住まう国家が他の国家からどのような目で見られているのかという情報が直に入って来るのは、けっこうありがたいことだと思う。
 ある程度の読解の能力は、高校1年までの文法等の知識と辞書を引く能力があればそれで良さそうだが、読解そのものの力は、これらに加えて、誤読しやすい表現や語句などの知識や用法、また、英語独特の言い回しや発想法を日本語と比較検討して理解する能力が必要だ。英語の教員という仕事柄言えるのは、後者の能力を身につけるのはかなり難しいということだ。生徒がセンター試験で超高得点(?)に至らない理由はこれだ。(時間制限がなくても、である。)
 言えるのは、そもそもの「思考力」があった上で数多くの文章に当たっていくことが重要だ。やがて慣れてくれば理解力を増す。しかし、ここで重要なのが「そもそのもの思考力」を有しているかどうか、である。かなり言えると思うのは、イマドキの通常の教育がこの能力の育成を阻害する方向で行われている現実だ。何かで読んだが、東大野球部の監督は、塾をしながら野球をやっているが、塾を流行らせるための方策が、数学を暗記物にして点を取らせる方法だったということだ。この方だけがこううした方策で勉強を教えているのではなかろう。生徒も親も、さらには教員も、短期間でいかに点を取るかを最重要視し、本物の思考力、つまりは、応用力につながる思考力を軽視しているのが現状である。
 持って生まれた能力がもともと高い生徒はそれで良い。「暗記物」の数学であったとしても、そこから本物につながる道を自分で見いだすだろう。しかし、自分だけの力で気がつかない非常に多くの人たちは、いつまで経っても獲得できないのである。その悪弊が多くの場所や場面で散見されるのが今の社会現象だろう。
 忘れ去られた結論になろうが、人間の能力の伸長に関して、結果を急ぐ方法はない。ことのほか、基礎力たる、たとえば上記の思考力に関して大いに当てはまろう。そろそろ気がついても良さそうなのに、誰も気がつかない、あるいは、気がついても気がついていないふりをするのが流行っているのだろう。
 と、話はそれた。