考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

文化は分化

2006年10月18日 | 生活
 世界中の偉い人が色々書いていることだろうが、本当のところ、文化とは分化で、排他的なものだと思う。

 茶道なんて今でも典型だと思う。趣向を凝らして数人で場を囲む。道具を揃え、食事を楽しむ。それでまた集う人がどんな人かで場が異なる。時間が過ぎれば、終わってなくなってしまう。それで、そういうのを生活の一部に組み込んで楽しむのが目的だろう。だから、その場にいなかった人たちにストレートに口外されることがない。場を楽しむのが目的だから。で、たぶん、口外する人は、「そういった場にいつもいる人」ではないのだろうな。

 博物館や美術館などの展示物は、そういった場で使用されたものの典型的な遺物だろうと思う。たぶん、生活空間の中に取り込まれていた。そのために作らせた物品も多かっただろう。それで、たぶん、今の時代もそういう人たちがきっといるんだろうな。

 「文化」というと何だかとっても良い響きがあるが、目に見えてこない表情を多く持つものだろうと思う。

 私はあまり文化的でないからこんなことを書くのだろう。(笑)
 終わり。(しかし、あまり考えてない。)