考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

教員がインフルエンザにかかりにくいワケ

2010年10月28日 | 教育
 少なくとも、たぶん、高校では生徒にインフルエンザがはやっても、教員はあまりかからない。トシのせいだとも言えるが、これ、教員は、しょっちゅう手を洗うからではないか。
 黒板でチョークの授業をすると、必ず手が汚れる。チョークの粉が付くと気持ち悪い。手が荒れる人もいる。というわけで、必ず1時間授業をする毎に手を洗う。で、しゃべるから喉が渇く。お茶を飲む、コーヒーを飲む、時間があれば。水分も十分に摂っているのだろう。

 というわけで、教員はインフルエンザにかかりにくいのではないか、と言う仮説である。
 
 で、ということは、たとえば、ホワイトボードにサインペンで書く授業をすると、(電子黒板でも良いけれど。)手が汚れないから、手を洗わない。また、ペンを通して、人から人への感染が考えられる。たぶん、罹患は増えることはないか、と言う仮説も立つ。

英語の授業より

2010年10月21日 | 教育
 「英語の授業は英語で」らしくて、そういう資料が送られてくる。どうなるんだ?と関心を持つ人が多いのか、少なくとも、「いる」が、そもそもの根源は、英語の勉強をちゃんとしたことがない人の発想だろうなと思う。
 授業って、何をやるか、どうやるか、より、生徒がどうであるかの方がずっと大事だと思う。いまでも、授業を宝の持ち腐れにしている生徒は多い。できるわけがない。

 英語の先生というのは、夢見る少年少女、みたいな感じがある。(怒られそう。。。)だから、英語の授業は英語で、なんて、思うのだろう。

 物理の先生は、固そうで、柔らかい。数式をどんどんいじるからかな。変数を定数と捉え直して式を変形させるのは尋常でなかろう。(笑・だから、私は物理ができなかった。)数学の先生は、議論の際に「前提」を変更するのを嫌う。そりゃ、そうだ。前提、つまり、与えられた条件を変えたら、問題は解けない、変わる。国語の先生は、文学系と言語学系で、くっきりと分かれる。どう分かれるって? 私と話が合うか、合わないか。合うのは言語学系、合わないのは文学系。化学の先生は、ちょっと何というか、中に、のらりくらりする人がいる。化学反応なんて、予期できないからかな。社会の先生は、目先にとらわれる人が多い。人間関係の世界だからだろう。私に言わせると、話がわからない人がけっこういる。誰の話って? 私の。以上、もちろん、独断と偏見。
 私が話が合うのは、理科の先生系統。


弱点補強が大事なわけでない

2010年10月20日 | 教育
 苦手分野の克服とか、テスト結果の集計数値をもとに授業をしたりとか、近頃は、傾向と対策的なやり方がはやっているようだけれど、まあ、模試の結果のグラフや表なども同じだけれど、そんなことをやっても、生徒全体の成績、平均的な成績は決して上がらないと思う。
 何でかって?
 生徒が勉強ができないのは、もっと構造的な問題だと思うからだ。
 「目に見る結果」からあれこれいじるのは、違うと思う。なぜなら、全て「後追い」の指導だからだ。
 勉強を教えるというのは、そうじゃないと思う。後追いじゃなくて、「先駆け」だろう。どんどん駆けていく方が良いと、個人的に思う。内田先生的に言うと、「シリウスを目指せ」(だったっけ?)である。
 弱点補強をしても、得意分野までは伸びない。

 関係がないけれど、近頃、数十年前のテレビ番組など、あれこれ、過去を振り返る番組が増えているように思う。
 テレビも、いよいよ終焉を迎えようとしているのだろうなぁと思う。

腹が立ってくる

2010年10月11日 | 教育
 テストの丸つけをしていると、腹が立ってくる。
 できないからでない。文字がきちんと書かれていないからである。iの点は横棒だったり、アクセント記号になっている。pやy、gは、きちんと下に降りていない。メールの文字の影響なのかなぁ。tとfが紛らわしい。dの筆順が間違っている。vとrも紛らわしい。sは、小文字と大文字の区別がはっきりしない。tもcも同じ高さである。nとhも紛らわしい。wは、一番右のラインが下から上にはねている。
 授業で、板書の際に、よく注意していることなのに。
 ああ、こんな注意力不足で、勉強ができるようになると思えないんだけれど。。
 点数、引くぞ。

単語は単語集で覚えるな

2010年10月10日 | 教育
 今どきの単語集は、赤字で訳語が書いてある。特に頻度の高い訳語が赤字になっていて、そうでもない訳語は黒い文字である。と、生徒は、どうするか。赤いシートを使って覚えるから、赤字の訳語しか覚えない。そうした赤字の「重要語」を覚えて勉強をした、と思い込む。易しい語についてもそうだから、これが困ったことになる。
 thenは、訳が難しい語である。そのとき、それから、その後、それで。まあ、大体このくらいだろうけれど、どの訳語を使うかは、文脈による。ところが、ある単語集を見ると、最初の「そのとき」だけが赤字になっている。生徒は、「そのとき」しか覚えようとしない。onceは、中学で習う単語である。しかし、高校では「いったん~すると」という接続詞が出てくる。中学の単語復習用、などのページでは、「かつて、一度」しか載っていない。載ってないから、「いったん~すると」を覚えない。
 単語を単語集で覚える学習法は、こうした落とし穴が危険である。
 単語は、出てきたときに、覚える。単語集は、基本的に、覚えた単語の確認用でしかない。


神が細部に宿るとは?

2010年10月08日 | 教育
 「神は細部に宿る」というらしい。何であれ、熟練の職人や芸術家、スポーツ選手でも、料理人でも売り子さんでも良い。一流の人は、本質を見極めた上で、神が奥に入念な施した細工にも気を抜かない。神の宿る細部を究めるからこそ、本質に通じると言う方が妥当か。
 これは、彼らの感性や能力、努力が凄いということではあるものの、それだけでない。品物や作品を選び、使う人間の能力や感性も、かなりの程度、真贋や美しさを見極めるほどのものだと言うことである。
 「素人」は、理屈はわからない。けれど、何となく「そっち」を選ぶ。無意識的ではあるが、ふつーの人でも持ち合わせることが多いのであろう鋭い感性が、「そっち」を高く評価しているのではないか。


スピーチの指導その2

2010年10月03日 | 教育
 私って、スピーチ指導は、それなりに得意なのかも知れないと思う。(笑)
 原稿作りは、徹底的に論理的に書かせる、というか、直す。考え方そのものから確認する。あくまでも、本人の考えであるが、何をどのようにどんな順序で述べるかを確認する。「順序」は、かなり重要である。「わかりにくい」と感じる原因が、多くが述べる順序だったりするのは、自分で文章を書くときでもよく経験することだ。段落のつながりは勿論、1文1文のつながり、語句と語句の対応関係も考える。これは、母語よりやりやすい。だって、語彙が貧困なのだもの。(笑)文と文のつながりに関しては主語も検討する。主語は主題だからだ。まあ、授業で教える読解の逆を行くわけである。本人と一緒に考えて行く。あくまでも、主張をするのは本人だから、本人の考えや気持ちが大事だ。ここをもっと深めて考えろ、など、何度か書き直しをさせる。こうした思考を繰り返すことで、本人自身も発見があるようだ。ただ、知的能力が関与すると感じることもある。勿論、コロケーションやニュアンスなど、英語の言葉そのものの使用に関しては、確認をネイティブに頼る。
 原稿ができたら、「読み」(?)である。発音も直す。英語特有の音だけでなく、それこそ、[n]であれ、他の音であれ、直すべき音は直す。時には発声練習から始める。英語はやはり、ハラから声を出さないとそれらしく聞こえない。発音は、結構重視されることも多いから、気をつける。(ホントは、私自身は発音なんて、どーでもいいと思っているのだが。)で、思うのだが、小学校の時から英会話などを習っていた、と言う生徒は、その割に、発音がけっこう汚かったりする。(習ってなければ上手いというわけでもない。)変な癖が付いている、と言うべきか。区別すべき音を区別せずになんとなく英語っぽく聞こえるような音であることがある。大変困ったことである。なるべく直すが、本人のクセになっているから難しい。でも、唇の形から舌の動かし方まで気がつく限り直させると、それなりには直る。(だからと言って、私の発音が良いというわけでもない。)この点で、私って、けっこう、耳が良いように思う。こうしろ、と言って直させると、上手く聞こえてくるから。読みに関しては、徹底的に感情を込めさせる。単語1つ1つ、音の1つ1つに感情を入れさせる。音の高低、リズム、強弱の流れ方に気をつけさせる。それから大事なのは「間」である。で、いつも思うのは、芝居や歌舞伎、能狂言をあれだけ見たのが、実に役に立っていると言うことだ。(笑)ネイティブに聞いて貰うと、感情がこもっていると意外に感じてくれるから、まあ、良いだろうと思う。
 スピーチとは、論理であり、音楽であり、ドラマなのである。
 しかし、こうした指導は、時間との戦いである。あとは、生徒次第。大抵は時間切れ。(笑)

 と、書いて、そういえば、前にも書いたと気が付いた。