考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

早く寝ろ

2009年10月28日 | 教育
「今は何時間寝ているの?」
「4時間くらい。」
「部活動をやっていたときは?」
「疲れてすぐに寝たから6時間くらいは。。。」
「6時間寝なさい。寝なかったら、勉強はできないよ。人間の脳は、寝ている間でも勉強をしてくれているんだよ。」
「ほんとですか?」
「たぶんね、寝ている間に整理してくれてるの。起きている間に運動をする人の寝ている時の筋肉の代謝量は、運動をしない人より多いんだって。」
「へぇ。」
「脳だって、同じじゃないかな、と私は思っているのだけど。起きている間はしっかりと勉強をして、しっかり寝る。そうすれば、寝ている間にも脳味噌が勉強をしてくれるよ。もっと寝なさい。」
「はぁ。」

イメージ記憶術?

2009年10月28日 | 教育
 さっきのためしてガッテンで、記憶するのにイメージをする、というのをやってたけど、私、子供の時からこれで勉強をしてるけど、それでも日常生活では人並み以下です。・・・・・先が思いやられる。
 ふつーの人の記憶力って、すごいんだなぁ。。


やたらに詳しい解説

2009年10月28日 | 教育
 教材屋さんが問題集を持ってくる。で、近頃の特徴は、解説書がやたら丁寧で分厚いことである。私はこんなに詳しい解説は要らない、でも、この詳しい解説は、現場の先生の要望なんでしょ、と聞いたら、そうだと言う。やっぱりね。
 トップ校のような学校は、こんなに解説が詳しいと生徒が授業を聞かなくなるから要らない、と言うらしい。
 私が詳しくて単語の訳語まで付いているやたら丁寧な解説を必要がないと考えるのは、生徒も先生も解説を持って、渡して安心する、読んで安心するというのが理由の1つだ。それから、詳しい解説で、理解が深まったり英語が良くできるようになると思わないからである。
 うん。総じてね、
 少しくらいわからない所がある方が、力は付く。わからないところがあるのは不快だけれど、さらさら読んで、あるいは、多少熟読したとしても、わかった、なるほど、と思って安心するより、ちょっと不愉快な思いをした方がずっと良い。詳しい解説なら、これまでも彼らは持たされている。それなのにできないのは、他に理由があるのだ。あまりに受け身の態度でいるからできるようにならない。もう一歩踏み込むことができないから、勉強が自分のものにならず、伸びない。
 そのためには、解説はなくて良い。授業だけで良い。
 解説書だけで、ずいぶんの費用とエネルギーがかかっているだろう。生徒以外がエネルギーをかけているのである。本末転倒である。

今日の授業

2009年10月26日 | 教育
1アルファベットのo,d,r,t,wの書き方の指導。
 黒板に、アルファベット練習用の四本の横線を書いて。生徒は笑っていたけど。また、板書でdの筆順が違う生徒に再度板書し直させる。
 もちろん、彼らは受験生。何人かは、かなり良い大学に行きますよ。
2ルースリーフでノートを取る生徒で、先回の授業のページを持ってきてない生徒を叱る。授業のノートは、絶えず振り返って利用するためのもので、単なる保存用ではない。
3自由英作文を書かせるのに、段落の始めを少し下げて書いてない生徒に、消しゴムで消して書き直しをさせる。1文1文を行を変えて書く生徒に書き直しをさせる。(もちろん、予め書き方の指導をしている。何を聞いているんだぁ。)


どうしたら出来るようになるか

2009年10月25日 | 教育
 勉強をしているのに伸びない、と言ってくる生徒が増えた。長文が読めないと言う。じゃあ、1段落からなる十数行の英文は読めるのかというと、これも読めない。十数行が読めなくて長文が読めるようになるわけがない、と私は思うのだが、本人にしてみれば、十数行を読んだところで長文が読めるようになるわけがない、と思い込んでいるようだ。十数行が読めないから、長文が読めないことに気がつかない。同じレベルの英文なら、長い方が難しいに決まっている。読解の体力というものがある。(何十ページもの長さはまた別物になることもあろうが。)

 彼らは毎日の勉強で「時間内に読む」という方法を取ってきているようだ。(近頃の問題集などは、制限時間が書いてあったりする。)で、実は、私には毎日の勉強で特定の文章を時間内に読みきらなければならない重要性がわからない。センター試験は確かに時間との勝負になるが、だからといって、普段の勉強までそれに合わせることはないと思う。意味を取り、辞書を引く。文脈を確認する。訳したり要約をしたリする。出来ないところ、意味がわからないところがきっとあるはずだ。そこは解読する。内容読解につとめる。文章で表現されているからには何かの主張があるはずだ。これらの全ては、それなりに時間をかけないと出来ないだろう。速さは全くの別物である。最初から時間を気にしていては本質を見失うだろう。
 それとも、私がそのように思うのは、自分が読むのが速かったからなのか。今のセンターは知らないが、試験時間内に問題をやりきれなかったことはあまりない。時間をかけてする勉強とちゃっちゃと問題を解くことを器用にやり分けていたのかなぁ。気楽な気持ちで試験を受けたことはない。テンションを上げて、集中して、がんがんに脳味噌を使った。とにかく、単語に弱かったから、集中力をあげないと全く読めない。未知語を未知のまま保持し未知語同士で、これとあれはほぼ同じ意味だろう、対立する概念だろう、などと推測しながらその記憶もさらに保持して流れをつかむがごとくどんどん読む。キーワードに関わる語を含めて10語も未知語があると、もう、ホントに大変だった。それで大抵、未知語は10語で済まなかった。速く読まないと記憶が保持できなかったのかもしれない。
 普段の勉強で単語熟語の復習は重要だろう。使わないと、すぐに忘れる。彼らは、2,3回やるとそれで終わるようだ。ちゃんと覚えることをしていないと思う。読む文章に出てくる単語などは、ほとんどが今頃には既出である。それがわからないのは、これまでの勉強が出来ていないと言うことだ。じゃあ、どうしたらいいのか。単純である。今出てきたことをアタマにたたき込むのが最善である。

 もう一つ彼らに共通しているのは、わからないと諦めることだ。「わかりません」で終わる。大事なのは、「わからなかったらどうするか」である。思い出すことの重要性も忘れている。単語なら、ほとんどが既出語である。思い出す努力が必要だろうに、たぶん、そのときの重要語ではないと言う理由で思い出さない。これで語彙が増えることはない。再任と再生が全く異なる思考であることに気がつかない。文構造がわからないなら、S+Vを捕まえる。その方法は教えているのに覚えていない。目の前にある文がわかりさえすれば、自分はわかるから、「わからないときどうするか」に興味が持てないのだろう。しかし、今後必ず「わからない文」に遭遇するものだ。だったら、そのときどうするかの方法をわかる文で復習して「わからないときどうするか」の勉強をすれば良いと思うのに、そこには思い至らない。あくまで目の前にあるものを理解することだけが勉強の目的になっている。応用力に繋がらないのわけである。読解問題なら、答えは常に本文にある。国語の現代文では、答えは必ず書いてある、と言う。英語だって同じだ。探せ。

 まだある。仮説を立てて考えることをしない。読解問題の答えにせよ、段落のトピックセンテンスを探すにも、わからないなら、たとえば最初の文がトピックセンテンスと仮説をたてて、それで、スムーズに意味が通るかどうか試しにやってみるというようなことをしない。上手くいけばその文だろうし、上手くいかなかったら違うということだ。また考え直せばよい。

 勉強なんて、常に試行錯誤である。他に何が出来るというのだろう。私はわからない。
 

「猫と犬」は「動物」という読み方

2009年10月24日 | 教育
 教える際に一番難しいのが、たとえば「犬と猫」というものを、新たに「動物」というより高い階層のカテゴリーと捉えさせるという類のことである。動物の場合は具体的だからわかりやすいが、文章中で、文と文の関係が因果関係とか対比とかになっているものを見いださせるのがとても難しい。
 もちろん、最初にそう言った概念は教えている。それで、もちろん、そう言った概念を最初から並べておいて、この文とこの文の関係は次のどれでしょう、と言う風に問えば、それなりの精度で、答えを見つけ出すように関係を見つけ出す。しかし、単に、この文とこの文の関係は?と問うだけで答えが返ってくることは少ない。それこそ偏差値60か70以上の生徒でないと、ただ単に意味を取って訳すだけの返答しかしない。レトリックの概念で文章を読むのが難しいのである。
 文章を読み取るときに、文と文の関係、段落と段落の関係をしっかりとつかみ取らないと私は読めたことにならないと思う。また、for exampleとあったら具体例であることはすぐにわかるが、何の具体例かをつかむことが大事だ。A and B と言う表現でAとBがどういう類の語句なのか、それこそ、犬と猫という動物というカテゴリーにひっくるめられるものかのか、それとも、「森と熊」のように、一方が他方に含まれる関係(と予想される)のものをくっつけているのか、あるいは、時に水と油のような対比的な関係のものをくっつけているのか、という判断を常に瞬時に行わないと文章は読めないだろうということだ。しかし、これがなかなか難しい様子である。
 また英語の場合(って、日本語でもそうだろうけど)、最初の方に出てきた語句が表現を微妙に変えながら後の方に繰り返し出てくることがよくある。第1段落のこの語句を受けて、次の段落でこの表現になる、それが発展して第3段落でこうなってああなって、、、と、文章の流れを作る。途中に様々なレトリックが関わって筆者の主張に繋がる。それで、こうした語句の変化というか、最初に出てきたこれと後の方のあれがほぼ同じモノなのだということになかなか気がつかない。最初に出てきたその語句を受けて、別の語に繋がって論が展開するのが普通だ。まあ、うっかりすると私自身もすんなりとわからないことがあるが、何だろう? そういっった類の「アンテナ」を持たせるためにはどのように教えたらいいのかがわからない。これが出来れば、はっきり言って、わからない語句が交ざっていたとしてもけっこう読めるようになるのである。試験問題だって、良い問題ならこういった観点で問うている。私は高校生の時からそんな読み方をしていた。習ったわけではないけど、何せ記憶力が悪くて常に語彙不足だったから、とにかく単語だけで読んだのではわからず、必然的にそんな読み方になったのだろうと思う。というわけで、時々、何が書いてあるのかよくわからなくても、そこそこ正しい答えには至ったのである。だから、生徒に伝授したいと思うのに、上手くいかない。非常に多くの生徒は、文章読解とは、書いてある言葉の読み取りだとしか思っていないのだと思う。だから、単語などには関心を向けても、文章の流れに関心が行かない。だから、本当に読めるように、本当の良い点数には至らない。誤解のないように念のために書くが、私の言う読み方は、ただ単に点を取るためだけの勉強ではない。私は文章読解の本質だと思っている。もっと言うと、文章を書く際にも必ず役に立つ。欧米人との「コミュニケーション」なら、そこそこ内容のあることなら、こうした書き方、話し方でないと決して相手から認めてもらえないだろう。
 こうした読解が難しいのは、そもそもは「発想」の仕方の問題だろうかと思う。知識(読解の場合には読み取った内容)を並べることではなく、知識をどのように整理するかと言う方法である。整理するには、大方は「分類」する必要がある。まあ、私は、勉強とは、全てが視点を定めて分類することだと思っている。ならば、その「視点」をどのように獲得させたら良いのか。ああ、これが難しい。わかる子は、わかる。打てば響くように、というか、「ヒント」だけですんなりとわかる。私以上にわかってくれるのだけれど、わかってくれない子は、ホントに、気がついてくれない、わかってくれないのである。

よくわからないこと

2009年10月23日 | 教育
 以前からそうだが、この頃、また、何が何だかわからない。
 学習指導要領が変わる。その前に、今の1年生が受験する際の受験教科に関わることで変更?がある。それで、カリキュラムを変える話になった。私は、ヒラだから、そう関係はないのだが、カリキュラムが変わると、英語の単位数に変化が及ぶことも考えられる。どうなるのだろう?
 それで、学校全体として、「進学校」の看板を掲げ続けるために、何をどのように変えたり、あるいは、単位数を決定したりすると良いのか。

 今の多くの学校は、2年生から文理分けをする。そのためには、1年生で、しかも、この時期に物理化学生物が何かもわからずに、せいぜいで教科書をぱらぱら見るだけで、決めることになる。どう見ても理系はムリという生徒が、理系に来ることがある。結局、成績もふるわず、3年になったときに良い進路先が見つからなかったりする。文転する。本人はそれでいいだろうが、数学と理科に力が入らないから、そういった生徒がクラスに一定数いると、授業の質を変えざるを得ないことがある。レベルが下がる。試験は同じだから、まあ、生粋の理系生徒には実に端迷惑な話になる。これが困る。文転を認めれば、次から次へと出てくる。だって、物理Ⅱでも化学Ⅱでも、数Ⅲ数C、やることがいっぱいあって、大変なのだ。くじけそうになる生徒は多い。それで、くじけて数Ⅲをやめた分に進路先はない。皆が必死になって頑張るのが現状である。日本全国どこでもそうだろう。高校の勉強は難しいのである。

 単位数が変わると、教員の定員数が変わる。時にしばしば?1年契約の非常勤講師が来る。しかし、中には授業が出来なくなる人もいたりする。昔、高校1年の英語を教えることが出来ず、やめてしまった人がいた。(もちろん、教員免許は持っていた。)おまけにイマドキは、働いている人が多いから、高校教員ができる位の人は、既に働いている場合が多い。良い人は引っ張りだこだろう。
 非常勤の先生は雑務や授業以外の校務をしない。同じ時間数でも、正規の教員だけでやるのと、非常勤講師が入り込むのとでは多くの点で目に見えない仕事量が変わる。学校は、目に見えない雑務のような仕事も多い。先生の仕事は、授業をしたり試験をしたりすることだけでない。非常勤は正規の教員の変わりにならない。正規の教員の雑務(とは言い切れない重要な仕事も多い)的な仕事量は非常勤講師が増えると、割り当てがどんどん増える。

図書館や自習室では勉強をするな

2009年10月23日 | 教育
 不思議でならないのは、生徒の多くが自宅ではなく、図書館などの人が大勢いる場所で勉強をしたがることだ。それで、先生も学校図書館や自習室で学習する生徒の数を見て学習状況の善し悪しを判断する。
 まあ、全般的に勉強というモノをしなくなっているのだろうから、いたしかたないのかもしれないが、たぶん親から貰った能力以上の点数を取った私からすると、そんな静かなところというか、音を出してはいけない場所で勉強をしたところでたいした成果は上がらないだろうということだ。
 (あ、これ、以前も書いてるかもしれない。)
 勉強は、特に覚えなければならない勉強は、静かにじっとしては出来ない。生徒の多くの記憶力が足りないのは、勉強の仕方、暗記の方法が下手だからだと思っている。もっと声を出して、アクションをつけて、カラダで覚える。以前、茂木さんがテレビでやっていた「鶴の恩返し法jである。人に見られたくない姿で勉強をするということだ。声を張り上げて、リズムをつけて、書いて読んで、自分で試験して覚える。勉強方法に関しては、どうやら私は茂木さんと同じ方法で勉強をしていた。
 じっとして出来るのは、せいぜいで数学くらいだろう。それでも、出来なかった時には、一人で「あー、ばかばか」と叫んだり。(笑)すると、試験でも何でも、あ、この問題は、この間私ができなくって思わず「ばかばか」と叫んだときの問題だ、などと気がつく。受験勉強程度の勉強は、いかに印象づけて脳裏に残すかである。恥も外聞もないものだから、人様のご迷惑にならないように、部屋にこもってギャーギャー騒ぎながら勉強をするのが良いと思うのだけど、彼らはどうやら自分の家や部屋だとついついテレビを見たり寝てしまったり、誘惑に負けてしまうようである。
 彼らは次善の策を取っているから、本当に効率の良い学習方法をとることが出来ないのだろうと思う。

「女ってばかだ」

2009年10月20日 | 教育
 あまり親しくない知人の息子さんが、小学校6年の時に、「女って、集まるとおしゃれの話しかしない。バカだな。」と言ったそうだ。
 「おしゃれ」ほど、環境に負荷をかけるモノはないだろう。現代のおしゃれは、物品、運送など、エネルギーのかかることばかりである。ポリエステルは限りある石油だろうし、綿の栽培には水問題が関わるらしいけど、どうなのだろう。安価であれば、Tシャツもついついすぐに雑巾になる。
 「おしゃれ」が賛美されるのは、「経済効果」が抜群だからである。家庭科が男女教習になって大きく変わったのは、被服の授業である。今の子は、洋服を作ることが出来ない。(私の頃は、ベルト、裏地付きのスカートも作った。ほりは、大人になってから、家庭科で習った知識だけで本を買ってきて、見て、オーバーを作ったことがあるよん。)でも、今の子は、全て「買う」。
 「おしゃれ」は、生き物として生きるにホントは不要のモノである。みんなが王侯貴族になったのだなと思う。人間は実に不要のモノを好むものだ。ただ、エネルギーコストの観点から、数学などのお勉強の方がずっと安上がりであろう。