考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

英語と日本語の行ったり来たり

2013年02月24日 | 教育
 何の因果か、成り行きと自分の興味関心で、なんだか難しい英語の本を読むことになった。(だからブログ記事がない・笑)とても難しいのだが、評論だからまだ読みやすい方だと思う。筆者はたぶんかわいらしい人柄のようだ。日本語と英語の間を行ったり来たりして読んでいるが、思うに、たとえば、学校でやる和訳の方法、しかも、点数をつけるための訳の仕方は、そうとう間違っているんじゃないか。
 何せ(私には)難解な文章だから、筆者の言わんとするところをとらないことに徹頭徹尾わからない。と、通常の訳し方では、言いたいことが日本語にならないんじゃないかと思うようになった。語の並び方が違うから、その語順の違いに関連するのかしないのかまだわからないが、おそらくそうした言葉に関わる思考の順序が思想の概念からして日本語と英語では相当違うんじゃないのかと思うのだ。だから、ふつーに訳すと、わかるようなわからないような日本語になる。そこを補正すると、何となく理解しやすくなる。理解しにくい訳は、きちんと意味を取ってないんじゃないのかなど、思い始めた。
 読むこと自体は面白いのだが、130ページある。少々気鬱。

掃除中の雑談と能力の伸長

2013年02月16日 | 教育
 掃除をするとき、黙々と動く生徒は働き者である。さっさとやっちまえ、という感じの場合もある。「掃除の仕草」をするのではなく、ちょっと離れたところの小さなゴミを見つけてきちんと掃き取る。イマドキは感心に値するかもしれない。
 おしゃべりが盛んな生徒もいる。たいてい動きが悪い。輪になっている。身体を動かしても「仕草」としての掃除である。
 この両者が混ざり合っている状態は大変によろしくない。個々人にこまかく仕事を割り当てて責任を持たせるしかない。
 と、こんなことを書くつもりではなかった。
 掃除中の雑談である。
 上記のような生徒群は、掃除と全く関係のないことを話す。関心の的が掃除ではないから動きが伴わないのだろう。
 しかし、掃除をしながらの雑談でも、雑談の内容が自分たちがやっている作業そのものの内容の場合がある。ゴミの捨て方がどうのこうの、汚れが取れないだの、これはもったいないだの何だの、聞いていて、というか、聞こえてきて実に心が温まってくる。部活でやったらしい理科の実験の話が出てきたのには感心した。聞いている生徒もへぇーと関心を持つ。もちろん、口と連動して身体も動いている。なんて良い生徒集団なのだろうと思う。興味関心の幅が広いということだろうし。自分が今現在やるべきことに強い関心を持っている証拠でもあるだろう。授業中だって、そのときの授業内容に専心しているのではないかと思う。伸びていってほしいと思うし、きっと伸びていく生徒たちだろうと思う。

坊主頭

2013年02月10日 | 教育
 昔の中学生は坊主頭だった。坊さんはもっと短く剃髪する。剃髪の複数のお坊さん、しかもかなり若い僧侶を見て思ったことがある。
 坊主頭は、その人の人柄が、顔そのものに如実に表れて出る姿ではないか、と。表情も露骨に現れ出ると思った。見る人の目をくらますものが何もないのである。

 逆を考えよう。
 他人に対して好印象を与えたいとき、人は、内面を磨く努力より先に服装とヘアスタイルに気を遣うだろう。(表情もだろうが。)イメージチェンジをするには髪型を変えるのが手っ取り早い。髪型を変えれば人柄まで変わって見えるものだ。
 ならば、剃髪は、そうした要素をすべて除去すると考えられる。
 お坊さんの修行は、「他人にどう見られるか」という外見を良くすることではないはずだ。最も深い内面に関わるものだろう。ならば、外見に強い影響を及ぼす髪型などの要素はなるべ除去するのが良かろう。だから着るものも、皆が皆同じような衣である。中学生が学生服を着ているのと同様である。

 坊主頭は、その人の人柄や何もかもをさらけ出す。お坊さんを評して「本当にいいお顔をしていらっしゃる」と、その昔高齢の人が言うのを聞いたことがある。人柄を見て取ったのであろう。
 罪人といたいけない少年が同じ扱いをされる理由が説明できる。刑罰としての坊主頭も成長の過程にある子供の坊主頭も、修行のための坊主頭も、すべて「人の内面」に関わるものとしてとらえると納得いくのではないか。僧、罪人、子供の共通点は、「今までのままではいけない」という認識だろう。僧は自らの意思による認識で修行を積む。罪人は他人から見て、子供は存在そのものの未熟さゆえ「今までのままではいけない」のだ。だからこそ、坊主頭は、僧侶に、罪人に、子供に課せられる歴史を持つようになったのではないか。
 
 というのが、私の坊主頭に関わる仮説である。(ついでに言うと、宗教に関して、僧の剃髪の義務づけと修行の厳しさは、宗派で相関するのではないか?という仮説も抱いている。)

 「坊主にしろ」と言われると、たいてい、イヤだと思うだろう。「社会的にうんうん」は後付けの理由である。そもそも自分自身をさらけ出すのが怖いのだ。「イヤだ」と感じる本質的な理由はこんなところではないか。
 この観点で言うと、「社会」とは「己をそのままさらけ出してはいけないところ」と定義できるだろう。
 ーーーそう、困るのだ。人が皆、自分の中身のさらけ出したら、社会生活は営めないだろうということは、誰でも察しがつくものだ。

受験勉強だけで勉強をした答案の特徴

2013年02月09日 | 教育
 答案の出来の良し悪しは「点数」で判断されるが、英語の場合、「やや難関」の大学を目指す生徒の場合、点数ではなく綴りや表現の間違いで、その生徒がきちんと普段から勉強をした生徒かそうでないか、まあ、少なくとも、付け焼き刃の受験勉強で取った点数かどうかわかったりする。
 低学年時にサボって「やや難関」の大学を目指す生徒は、それなりに高い?志とプライドと自信を持っていて、1・2年の時に勉強をしたかどうかは受験勉強と関係がないと思っている。高校受験の時に何とかなった成功体験を持つことも多い。(だから低学年のときサボっている。)
 こうした生徒の答案に見られる英文の表現にはいくつかの特徴がある。

 一つは、big word とでも言うような語を使いたがることである。たとえば、「試験前、彼は良い成績を取ろうと努力した」を'He enveavered to get good grades before the examination.'などと表現する。make an effort/efforts を知らないのである。理由は、単語を覚えるのは受験対策の単語集からで、文章表現から覚えないからだ。だから、高校1・2年、ひょっとしたら、中学の文章表現で出てくる語を正しく使えなかったりする。当時は勉強をサボっていたから、全く覚えがないのである。(熟語集まで手が回らないというのもあるだろうが。)それに、「やや難関」大学の場合、語彙がそれなりに難しかったりするから、問題文を読むための難しめの語彙の暗記が重要になる。だから、意外に高校1・2年のテキストに出てくる語彙を知らない。(「学校の英語は役に立たない」など言う大人はこういう人にも多いのかなと思う。)

 あるいは、動詞による表現を好む傾向がある。He made progress. と表現すれば良いものを He progressed. など、名詞と動詞の両方がある語の場合、動詞だけで表現する。日本語は、動詞+副詞で表現するものを、英語では、動詞+形容詞+名詞で表現することが多い。形容詞をいろいろ変えて程度や状態を表すのである。しかし、普段から勉強をしてないと、こうした表現はなかなか習得出来ない。make progress なら、make no progress, made great progress など、形容詞を変えて表現できるが、make と progress の間に語句が入ると、1つのパターンというわけでないからなかなか覚えにくいのである。だから、日本語の発想に近い progressed greatly などと表現する。

 上記、たまたま、make を使った熟語が例になったから、「ということは、熟語が大事だということか?」と思われた方がいたかもしれないが、big wordに関してはそういうわけでもない。partを使えば間違いではなかったのに、わざわざportionを使って間違える、とか。partは受験用単語集に書いてないから思いつかないのである。

 他の間違いは、中学生、高校1年で出てくる単語の綴りの間違いである。happyをhapy と書いたり、million がmilion になったり、believe が beleive になったりする間違いである。一見「うっかり」ミスである。しかし、この手の間違いは、する生徒は、とにかくさまざまな単語で間違える。注意力が養われてないのだ。こうした易しい単語の間違いがなぜ高校3年まで見過ごされてきたかは、(まあ、指導者の注意力が全く関係ないとは言わないが)その単語が試験に出ない限り、もっと言えば、減点されない限り、気がつかないものだからだ。「わかれば良い」と考えると、また、低学年の試験で記号問題を多用すると、こうした間違いの発見が遅れる。

 以上の観点で英作文の答案を見られたら、それぞれの受験生について興味深い知見が得られるかもしれません。このブログの読者で大学受験の英語の答案を採点される先生は、どうぞ、ご参考に。

読書中

2013年02月07日 | 教育
 「中国化する日本」という本を読み始めているけど、これ、面白いわ。あは。
 口調や文章がちょっと上から目線だと感じる人がいるようだけど、ーーamazonのレビューにそんなのがあったけど、ーー内容がものすごく面白い。
 目から鱗なんてものじゃないよ。
 日本という国家のシステムの根幹に関わる事項だから、「骨組み」を読み取るのが好きな人にはもってこい。筆者の言葉使いに関しては、たぶん、「売るため」を相当に意識した結果ではないのかな? 論文調では売れないから、ああいう文体になったのだろう。文体と内容は別だと思うべき本だと思うけど。

 私は歴史は全然、だめ。高校時代は文系で、当時のことだから、日本史世界史の選択だった。(もちろん、倫理、政経、地理もやっている。)もう、ホントに、大変だった。そもそも天下取りなどの心境がわからないし、歴史関係における「ああすればこうなる」は私には感覚的にどうだっていいことだから、理解できないから、覚えられない。もともと記憶力だって悪いから、機械的にも覚えられない。それでも自分で年表を作って頑張って覚えたのだから、この努力、大したものである。
 そんな風に、全然理解できなかったからかもしれないが、あるいは、それでも頑張って多少の基本的な知識はあるからかもしれないが、また、もちろん、大人になる過程で本も多少読んで、養老本で鍛えてもらって思考力がついたからかもしれないが、今の私にはとても合う感覚である。だから、面白い。
 まだ途中だけど、今のところの感想を述べたくなった。

文系か理系か

2013年02月01日 | 教育
 とても短い文章を書いた。数字についてのちょっとした内容で、丸っきりのオリジナルである。数学の先生は私に「先生は文学的ですね。」と言った。文学好きの国語の先生が「先生は理系ですね。」と言った。
 全く逆の感想である。
 なんだかちょっと悲しかった。