考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

予備校の先生の授業に似てる、って。

2017年03月18日 | 教育
 この世界なら誰でも知ってる予備校の先生はたくさんいるが、どうやら私の授業はとある予備校の先生の授業に似ているらしい。
 昔、その先生が今ほど有名でなかった頃、その先生の書いた問題集を見て、自分と似ていると思ったことがある。共通点は、その先生も私も、英文そのものを理解しようとしていることだった。何かの参考書にこう書いてあるから、というのではない。私の場合は、自分が高校生の頃からやってきた方法を進化させているものだ。高校時代、文法を余り勉強しなかった。定期試験もそんなに良かった訳ではなかった気がする。けっこう間違えた。でも、模試他の試験で文法で困った覚えはあまりない。英文の捉え方がそう間違ってなかったからだと今は思う。自分が高校生の時に「発見」したことをものによってはそのまま教えている。
 まあ、そんなものだ。
 学生の頃、英文法の学者が10人いたら10通りの文法があるとか聞いたことがある。そうだろうと思う。全く疑問を感じない。生徒には、自分で自分の文法を作れ、と変わらず言っている。
 読解についても高校時代の進化形である。それも、その先生と同じのようだ。
 (中略)
 「読む」とは実に能動的な営みなのである。