考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

鉛筆の持ち方の指導

2013年04月13日 | 教育
 テレビで女優さんが何であってもペンを持つ場面が出てきたりする。と、持ち方が変。あれではきちんとした文字が書けない。(ひらがなをきれいに書くのに、正しく鉛筆を持って渦巻き、でんでん虫を書く練習をテレビでやってた。)で、どんな学校でも、この傾向がある。(割合は変わるだろうが。)
 というわけで、今年は、鉛筆も持ち方から指導をすることにした。ひらがなカタカナの書き方はもちろんである。

 そもそも「文字を書く」という行為は、人間がものを学ぶ基本中の基本である。文字を学ぶことで、それまで気にかけなかった注意力を喚起する。注意力がなかったら、あとの勉強はできないも同然である。
 また、文字は「記号」である。記号の最大の特徴は、他の人から教えてもらわなければその記号が持つ意味がわからない点にある。言い換えれば、「学ぶ」という行為の原点が文字の学習にあると言うことだ。記号という「約束事」を守るのが学ぶという行為の源である。この意味で、文字をきちんと書かないのは、「学ぶ」という行為を真っ向から否定しているのと変わりない。そのための道具である鉛筆の使い方を身につけることが以後の学習の質を決定することになる。
 というわけで、鉛筆の持ち方がいい加減なのは、たとえ高校生であってもいけない。でまた、彼らはこれから70年にわたって鉛筆を持ち続ける。ならば、また鉛筆を持ち始めてたかだか10年、矯正する価値は十分にあろうというものだ。