長崎奉行補足~22 2013-10-22 05:35:14 | 長崎の歴史 『河津伊豆守祐邦』~1 河津 祐邦(かわづ すけくに) 文政4年(1821)~明治6年(1873) 江戸幕府の旗本。 幕末に勘定奉行、関東郡代、長崎奉行、 外国事務総裁などの重職を歴任した。 家禄は100俵高。 官職名は伊豆守。 墓は東京谷中五林寺にある。 曾我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経の子孫であり、 大津事件の際に刑事局長を務めた官僚の 河津祐之は祐邦の女婿、 孫の暹は経済学者(東京帝国大学経済学部教授) 古美術崎陽 長崎の歴史 « 長崎奉行補足~21 | トップ | 長崎奉行補足~23 »
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