『オランダ正月』~3
~江戸芝蘭堂のオランダ正月~2
記念すべき第1回の江戸オランダ正月は
津藩の市川岳山が描く『芝蘭堂新元会図』で知られ、
出席者による寄せ書きがされており、
当日の楽しげな様子が十分伺える。
大きな机にはワイングラス、フォーク、ナイフなどが置かれ、
部屋には洋式絵画が飾られている。
出席者は他に玄沢の師であり
すでに『解体新書』の翻訳で名を上げていた杉田玄白や、
宇田川玄随などがいた。
オランダ正月の背景には、
8代将軍徳川吉宗による洋書輸入の一部解禁以降、
蘭学研究が次第に盛んとなり、
この頃には蘭癖と称された
オランダ文化の愛好家が増加していたことがある。
蘭癖らの舶来趣味に加え、
新しい学問である蘭学が一定の市民権を得ていたことを受け、
日本の伝統的正月行事に把われることなく、
蘭学者たちが親睦を深め、
自らの学問の隆盛を願い、
最新情報の交換を行う集まりとして、
以後も毎年行われるようになっていった。
ただし、当時使用されていた寛政暦などの太陰太陽暦と
西洋のグレゴリオ暦とのずれは毎年異なっていたため、
便宜上、翌年以降は冬至
(太陽暦でも太陰太陽暦でも同じ日である)
から数えて第11日目に
オランダ正月の賀宴を開催するのが恒例となった。
古美術 崎陽
長崎の歴史
~江戸芝蘭堂のオランダ正月~2
記念すべき第1回の江戸オランダ正月は
津藩の市川岳山が描く『芝蘭堂新元会図』で知られ、
出席者による寄せ書きがされており、
当日の楽しげな様子が十分伺える。
大きな机にはワイングラス、フォーク、ナイフなどが置かれ、
部屋には洋式絵画が飾られている。
出席者は他に玄沢の師であり
すでに『解体新書』の翻訳で名を上げていた杉田玄白や、
宇田川玄随などがいた。
オランダ正月の背景には、
8代将軍徳川吉宗による洋書輸入の一部解禁以降、
蘭学研究が次第に盛んとなり、
この頃には蘭癖と称された
オランダ文化の愛好家が増加していたことがある。
蘭癖らの舶来趣味に加え、
新しい学問である蘭学が一定の市民権を得ていたことを受け、
日本の伝統的正月行事に把われることなく、
蘭学者たちが親睦を深め、
自らの学問の隆盛を願い、
最新情報の交換を行う集まりとして、
以後も毎年行われるようになっていった。
ただし、当時使用されていた寛政暦などの太陰太陽暦と
西洋のグレゴリオ暦とのずれは毎年異なっていたため、
便宜上、翌年以降は冬至
(太陽暦でも太陰太陽暦でも同じ日である)
から数えて第11日目に
オランダ正月の賀宴を開催するのが恒例となった。
古美術 崎陽
長崎の歴史
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