「小松清廉」
(8)
愛妻家で、
新婚時代の安政3年4月23日~5月6日にかけて
当時珍しい新婚旅行で
霧島の栄之尾温泉に滞在した記録がある。
この滞在には千賀の父も同行した。
ちなみに日本初の新婚旅行を行ったとされる龍馬は
寺田屋事件直後の慶応2年(1866)であり、
実際には帯刀清廉のほうが10年早く
新婚旅行を行っていたことになる。
寛容で雄弁明快な人柄で人望が厚く、
若くして薩摩藩の重職に取り立てられた。
西郷隆盛に初めて会いに行った際、
西郷が、身分としては遥かに上とはいえ
自らより7歳若い小松の度量を試そうと、
わざと部屋で横になり小松を待っていたところ、
小松はその姿を見て立腹することなく、
むしろ西郷のために枕を持って来るよう従者に促したため、
西郷はその一言を聞くや居住まいを正し小松に詫び、
忠誠を誓ったという。
新政府においても将来を嘱望された。
古美術 崎陽 HP
(8)
愛妻家で、
新婚時代の安政3年4月23日~5月6日にかけて
当時珍しい新婚旅行で
霧島の栄之尾温泉に滞在した記録がある。
この滞在には千賀の父も同行した。
ちなみに日本初の新婚旅行を行ったとされる龍馬は
寺田屋事件直後の慶応2年(1866)であり、
実際には帯刀清廉のほうが10年早く
新婚旅行を行っていたことになる。
寛容で雄弁明快な人柄で人望が厚く、
若くして薩摩藩の重職に取り立てられた。
西郷隆盛に初めて会いに行った際、
西郷が、身分としては遥かに上とはいえ
自らより7歳若い小松の度量を試そうと、
わざと部屋で横になり小松を待っていたところ、
小松はその姿を見て立腹することなく、
むしろ西郷のために枕を持って来るよう従者に促したため、
西郷はその一言を聞くや居住まいを正し小松に詫び、
忠誠を誓ったという。
新政府においても将来を嘱望された。
古美術 崎陽 HP