「小松清廉」
(5)
慶応3年(1867)城代家老に任じられ
軍事掛と造士館掛等の要職を兼務する。
第二次長州征討には反対し、
慶応3年(1867)の薩土盟約や四侯会議など、
諸藩との交渉に関与した。
討幕の密勅では請書に、
西郷隆盛・大久保利通とともに署名している。
大政奉還発表の際は藩代表として
徳川慶喜に将軍辞職を献策し、
摂政二条斉敬に大政奉還の上奏を受理するよう迫った。
西郷・大久保とともに薩摩に戻って
藩主島津忠義の率兵上洛を主張する。
上洛の随行が命じられるも、
病によりこれを断念している。
明治2年(1869)
明治維新の功により賞典禄1000石が授けられる。
古美術 崎陽 HP
(5)
慶応3年(1867)城代家老に任じられ
軍事掛と造士館掛等の要職を兼務する。
第二次長州征討には反対し、
慶応3年(1867)の薩土盟約や四侯会議など、
諸藩との交渉に関与した。
討幕の密勅では請書に、
西郷隆盛・大久保利通とともに署名している。
大政奉還発表の際は藩代表として
徳川慶喜に将軍辞職を献策し、
摂政二条斉敬に大政奉還の上奏を受理するよう迫った。
西郷・大久保とともに薩摩に戻って
藩主島津忠義の率兵上洛を主張する。
上洛の随行が命じられるも、
病によりこれを断念している。
明治2年(1869)
明治維新の功により賞典禄1000石が授けられる。
古美術 崎陽 HP