古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

幕末の長崎~龍馬関連補足~海援隊

2009-10-19 13:04:25 | 長崎の歴史
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海援隊メンバー


「白峰駿馬」


白峰駿馬(1847年~1909年)

別名 鵜殿捨三郎・鵜殿鉄馬・鵜殿豊之進


越後長岡藩士鵜殿瀬左衛門の三男。

文久二年、長岡藩を脱して

江戸の兄 鵜殿団次郎をたより、

勝海舟が頭取をつとめる築地軍艦操練所に学ぶ。

元治元年ごろ入門した勝海舟塾で

龍馬と知りあい閉塾後も龍馬ら社中に合流

社中・海援隊では、

野村辰太郎とともに太極丸の船将をつとめ、

慶応三年の龍馬・中岡慎太郎の暗殺時は

数少ない海援隊士の一人として陸奥陽之助と滞京中


明治初年、千屋寅之助とともに

米国ラトガース大学に留学。

ニューヨーク海軍造船所で造船技術を学び

「造船術修行優等証」を贈られる。

帰国後、洋式造船の嚆矢「白峰丸」二百トンを造船し、

白峯造船所を建設。

岩崎弥太郎の三菱商会とも提携したが

明治十八年に倒産。

のち再建したものの金融恐慌の煽りうけ再び倒産

晩年は発明と研究に没頭、

政府から「勲六等瑞寳章」を賜った。



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