古美術 崎陽

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幕末の長崎~龍馬関連補足~海援隊

2009-10-01 16:02:04 | 長崎の歴史
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海援隊メンバー

「渡辺剛八」


渡辺 剛八(わたなべ ごうはち)生没年不詳

志士、海援隊隊士。

名は重。柴田八兵衛、大山壮太郎とも

越後国の出身。

激論家で知られたという。

慶応初頭までに海援隊の前身である亀山社中に名を連ねている。

慶応2年(1866)大洲藩からの要請でいろは丸の機関方として派遣

翌年、紀州藩の明光丸との衝突事故が起こり、事態の収拾に奔走。

事後の紀州藩との交渉にも出向く。

坂本龍馬が国事に奔走する中で、菅野覚兵衛とともに海援隊の留守を務めた。

しかし同年、龍馬が暗殺されると激昂し、

単身上洛して敵討ちをしようと息巻くが、佐々木高行に制されたという。

海援隊の解散後は振遠隊の幹部として

戊辰戦争では奥羽に転戦している。

なお菅野と龍馬の妻お龍の妹・起美の結婚では仲人を務めている。


その後の消息は不明で、没年、墓所も不詳



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