(21)
海援隊メンバー
「渡辺剛八」
渡辺 剛八(わたなべ ごうはち)生没年不詳
志士、海援隊隊士。
名は重。柴田八兵衛、大山壮太郎とも
越後国の出身。
激論家で知られたという。
慶応初頭までに海援隊の前身である亀山社中に名を連ねている。
慶応2年(1866)大洲藩からの要請でいろは丸の機関方として派遣
翌年、紀州藩の明光丸との衝突事故が起こり、事態の収拾に奔走。
事後の紀州藩との交渉にも出向く。
坂本龍馬が国事に奔走する中で、菅野覚兵衛とともに海援隊の留守を務めた。
しかし同年、龍馬が暗殺されると激昂し、
単身上洛して敵討ちをしようと息巻くが、佐々木高行に制されたという。
海援隊の解散後は振遠隊の幹部として
戊辰戦争では奥羽に転戦している。
なお菅野と龍馬の妻お龍の妹・起美の結婚では仲人を務めている。
その後の消息は不明で、没年、墓所も不詳
古美術崎陽 HP
海援隊メンバー
「渡辺剛八」
渡辺 剛八(わたなべ ごうはち)生没年不詳
志士、海援隊隊士。
名は重。柴田八兵衛、大山壮太郎とも
越後国の出身。
激論家で知られたという。
慶応初頭までに海援隊の前身である亀山社中に名を連ねている。
慶応2年(1866)大洲藩からの要請でいろは丸の機関方として派遣
翌年、紀州藩の明光丸との衝突事故が起こり、事態の収拾に奔走。
事後の紀州藩との交渉にも出向く。
坂本龍馬が国事に奔走する中で、菅野覚兵衛とともに海援隊の留守を務めた。
しかし同年、龍馬が暗殺されると激昂し、
単身上洛して敵討ちをしようと息巻くが、佐々木高行に制されたという。
海援隊の解散後は振遠隊の幹部として
戊辰戦争では奥羽に転戦している。
なお菅野と龍馬の妻お龍の妹・起美の結婚では仲人を務めている。
その後の消息は不明で、没年、墓所も不詳
古美術崎陽 HP