天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

炎天がつくる桑の葉茶

2018-07-16 11:36:09 | 身辺雑記


アパートに庭の隅、道路ぎわに植えないのに桑の木が生えている。道路に枝がしなだれるので切って干した。先週月曜日のこと。
炎天つづきで葉がカラカラに乾いた。
今日、鍋にそれをいれて煮た。煎じ薬の要領である。
庭の雑草のヤブカラシもやったことがあるが香りがよくない。桑の葉は好き嫌いはあろうが、ぼくは悪くないと思う。原料はただ、太陽と大気と水などに感謝。
今日午後から老人ホームで句会。氷入り桑の葉茶を持参する。


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鷹俳句会が贈る夏の秀句=涼しい

2018-07-15 10:45:18 | 俳句


「暑い」と「涼しい」という正反対の季語が夏にあるのはおもしろい。「暑い」を言わないで過ごせばいくぶん品格が上がるのではないかと思い立ち、逆の「涼しい」ほうを意識するためその秀句を『季語別鷹俳句集』に見てみることにした。

白樺の夜涼に珠の子を産めよ  星野一夫(S39.10)
「白樺の夜涼」はいかにも涼しそう。生まれてくる子も聡明そうであるが、「子を産めよ」を自分の妻に言っているとするとその行為は涼しいとはいえないな。


黒豹を見て少年の血が涼し  瓦 京一(S44.9)
黒豹はしなやかにして獰猛。少年でなくても涼しさが身を貫く。作者は自分を少年と見ている。


尿とりし夫に涼しき睡りくる  金井友江(S50.10)
優しい妻である。このとき波郷の<秋の暮溲瓶泉のこゑをなす>を思い出したとすれば、俳句は辛い看取りを慰めてくれる。


喪主の身のどこか浮きたる夜涼かな  藤原美峰(S52.7)
落ち着かない身分のひとつが喪主というやつ。どこかそわそわして不十分という思いで過ごす。次は完璧にやろうとは思わないところが喪主というものである。


父母の閨かたく閉ぢたる夜涼かな  松葉久美子(S58.12)
妙なところに興味を持ったものである。どのように閨の内容を想像していいか困るが、少女久美子には夜涼を感じたのである。長じた少女はいかに感じるか。


ぼんやりとゐて大望を涼しくす  藤田湘子(S61.8)
この句の意味を中学生に聞かれると答えようがなくて困る。大望はあるが必死になって頑張っているのではなく、涼しい風が通り過ぎるように思っている、とでも言えばいいのか。言葉全体がもたらすものを受け取ってほしい。


出羽涼しくるみのやうな婆とゐて  川見致世(S62.9)
山間の村に老婆がゐる。胡桃のようなとはどんなか……よもや胡桃の表面の皺を言っているのではなかろう。皺くちゃ婆ではないだろう。こりっと固まって実があるといった風情を作者は言いたいのだろう。


蓮華岳谺返しの距離涼し  後藤綾子(S63.10)
山肌の岩の表情が見えるようである。上目使いの作者が見えて涼しい。


町涼し中山道へ軒揃へ  小川和恵(H1.8)
山の茂りは書いてないが鬱蒼とした木々が見える。「軒揃へ」で影が濃く見えて自然に対して家屋の涼しさが呼応する。


松毬(まつぼくり)眼鏡をはづす涼しさに  角田睦美(H1.8)
上五で物をポンと出して何も言わないのがまず涼しい。要するにうまい句である。


晩涼の欅の下に死者を待つ  飯島晴子(H3.12)
アニミズム民族である日本人にはすっと入ってくる句。大國魂神社の欅もこう言いたくなり味わいがある。


山見えて涼しき二階半生過ぐ  岩永佐保(H6.12)
山は死と生の源泉みたいなもの。そこは季語の宝庫でもある。そういう山を見て自然や祖先とのつながりを意識した涼しさである。


川の名を涼しくこたへ宇陀乙女  林 喜久恵(H7.8)
宇陀は長谷寺のあるあたりか。川音が涼しかった記憶がある。「宇陀乙女」と下五においたのが洒落ている。


露涼し僧ひとりゐる鞍馬駅  前田寿子(H7.11)
「ひとり」とか「鞍馬駅」とかちょっと予定調和の感じがあるがまあ涼しいからいい。


涼しいをテーマにした句を見てきてこの間クーラーを入れずに節約できた。書いてしまうとどっと汗。クーラーを入れなきゃ。



写真:国分寺市民室内プールわきの林
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播磨灘になれ栃ノ心

2018-07-14 05:44:33 | 大相撲
やれやれ鶴竜も休場してしまった。今朝の讀賣新聞に<金星を店じまいする名古屋場所 川村雄一>が出て、うまさに膝を打った。作句→投句→選句の速さに舌を巻いた。

現在の大相撲はピンチである。絶対王者であった白鵬が下り坂。稀勢の里はなんと8場所休場、事実上引退している。
白鵬級の逸材がいるかといえば否である。若手で注目しているのは四股のきれいな阿炎(24歳)であるが、千代の富士や貴乃花が上がってきたころよりは虚弱。白鵬の全盛時に関脇あたりで暴れていればおもしろかったが、上へ行くにはまだまだ時間がかかる。
阿武咲(22歳)の爆発力も魅力だが安定感はいまいち。
今場所6連勝の御嶽海(25歳)が一皮むけて10番以上勝てるか。それより優勝して救世主となれ。なぜか後半下位力士相手に負けが込むスタミナの問題を克服せよ。

安定感ナンバーワンは新大関の栃ノ心かと思って見ていたら玉鷲の小手投げに負けてしまった。なんといっても30歳だから大相撲の屋台骨を担えというのは酷。
それでも栃ノ心の豪快さは夢を見させる。
漫画の播磨灘である。



播磨灘の雰囲気を持つ栃ノ心


播磨灘は『ああ播磨灘』の主人公。さだやす圭による日本の漫画作品。および、それを原作としたアニメ。『モーニング』(講談社)にて連載された。単行本は全28巻(文庫版全14巻)。正式なタイトルは『読むと強くなる横綱漫画 ああ播磨灘』。


播磨灘は実力は文字通りの横綱級だが、人格は最悪。人を人と思わない、傲岸不遜、負けた相手力士を平気で罵倒するなど、問題点には事欠かない。女性相手には手は早いが、老婆に対し「年寄りは国の宝や」と配慮する面も見られる。播磨灘に比べれば朝青龍や白鵬の問題行動も可愛く見える。実力は白鵬を上回り、始末の悪い史上最強の横綱と描かれる。

横道にそれるが、大相撲協会の幹部は横綱に品性やら人格の円満を求め過ぎている。朝青龍や白鵬ら蒙古出身力士に日本ふうの礼儀などむつかしいことを求め過ぎたのではないか。ちょんまげを結って褌で土俵に立ち、がむしゃらに強さを発揮してくれればそれでよしとする寛容さがあっていいのではないか。
綱を巻けない弱い日本人力士たちを彼らは救ってきたのだ。それに20代の青年が品性や人格面でそんなに成熟するはずもなかろう。
播磨灘は相撲が強ければいいじゃないか、ほかに何がいるのかという強烈なアンチテーゼであり、けがをして品性がある力士たちばかりでいいのかというメッセージである。

播磨灘に似ているが栃ノ心は気は優しくて力持ち。それはそれでいい。御嶽海と優勝を競ってほしい。いや、案外こういうとき会心したかのように豪栄道が勝ち進んだりする。
12勝の優勝なら御の字としよう。13勝した者には未来があるだろう。
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田嶋幸三氏にざぶとん一枚

2018-07-13 03:58:19 | スポーツ

日本サッカー協会田嶋幸三会長。
前監督解任事件では味噌をつけたが、この福相はすばらしい


サッカーワールドカップ、残るは決勝戦と3位決定戦となった。さまざまな刺激をくれ、楽しませてくれたイベントであった。
なんといっても波乱の幕開けは日本サッカー協会会長田嶋幸三氏による突如のハリルホジッチ監督解任通告であった。
これは筋が通らないとぼくはすぐさまブログで批判した。それはいまも変わっていない。日本チームがその悪影響もあり活躍しないだろうというおおかたの予想を裏切って健闘したこと、それは横において考えなければいけないことである。

予選突破の成果を上げて選手団が帰国したとき田嶋会長が記者会見した。くだんの人の発言に注目した。
彼は、
「『日本代表なんか嫌いだ』『応援しない』と言ってくださった皆さんが関心を持ってくださり、そういった方々にも感謝しなければいけないと思っています」
と言った。
これを聞いてぼくは「笑点」ふうに評価すれば「ざぶとん一枚!」の思いであった。この人、ウィットがあると若干見なしたのであった。
監督解任劇は大失態と思ったが、これは日本人の取りそうな行動である。田嶋さんでなくても日本人は土壇場で感性に頼って公には筋が通らない決定をしがち。そういう民族性がある。太平洋戦争に踏み切ったときも先の見通しがあったわけではなく熱に浮かれた気配がある。
あのときの彼の苦渋に満ちた表情にぼくは素直な性格を見ていた。福相で憎めなかった。

ぼくが評価したのと反対に先ごろ木村隆志氏は「田嶋会長の耳を疑う言葉」といって批判した

木村 隆志(きむら たかし、1973年5月23日 - )は日本のコラムニスト、コンサルタント、タレントインタビュアー、人間関係コンサルタント、テレビ解説者、テレビウォッチャー。


田嶋会長といえば、本番直前でヴァイッド・ハリルホジッチ監督を解任するなど、混乱や厳しい世論を招いた張本人。「嫌い」「応援したくない」と感じたのは、誰の何が原因なのか? そんな自分の非には一切触れず、一般の人々に皮肉のような言葉を放ったのです。
木村氏は「笑点」ふうに評価すれば、「「ざぶとん二枚取れ!」ということになろう。

同じ発言が聞く人によって180度好悪が別れることが興味深い。木村氏の発言があって、今回のサッカーワールドカップはまた話題が田嶋会長に戻って楽しくなった。
あのとき田嶋さんは少し言葉を足して、
「私たち執行部は筋の通らない苦渋の決定をしました。それを選手諸君の努力で跳ね返して予選突破という成果を上げてくれました。これからもみなさんの批判、要望に真摯に耳を傾けて透明度の高い運営をはかっていきたいと思います。ご批判も含めて感謝しています。」
と結べば満点で、「皮肉」と取られなかったのではないか。

田嶋会長を支えるように長谷部主将が、
「大会前、僕たちはあまり期待してされていなかったと思うんですけど、『無関心はいちばん怖い』と思っていて、またこのワールドカップで皆さまの関心を集められたと思うので、引き続き日本の皆さまには、日本サッカー界、代表だけでなく、Jリーグ、海外でプレーする選手、いろいろなカテゴリーがありますけど、関心を持っていただき、時には温かく、時には厳しいサポートをお願いしたいと思います」
と視野の広いコメントでフォローした。
このアシストはすばらしかった。田嶋会長に長谷部主将くらいの弁舌の切れと細やかさがあればもっとよかったが、彼が腹黒い人ではなさそうで、福相は彼の正直さの表れではないか。

彼がいつまで日本サッカー協会会長をやるか知らぬが、今度の監督決定には慎重を期してほしい。


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サッカーをやるだけではサッカーは伸びない

2018-07-12 06:30:50 | スポーツ

写真:AFP PHOTO / CHRISTOPHE SIMON サッカーW杯ロシア大会準決勝、
フランス対ベルギー。得点を許すベルギーのGKティボー・クルトワ(左、2018年7月10日撮影)



10日に行われたサッカーワールドカップロシア大会、準決勝でフランス代表に0-1で敗れたベルギー代表のGKティボー・クルトワは、フランスの守備偏重の戦術を「サッカー界にとって恥だ」と批判した。【AFP=時事】
すなわち、クルトワは「フランスは全くプレーしていなかった。彼らのゴールから40メートルのところで11人でディフェンスをしていた」「自分たちより良いチームに負けたのではなく、ディフェンスしかしないチームに負けたことにいら立っている」と語った。
これを日本では「負け犬の遠吠え」という。クルトワさん、優秀な選手なんだから負けてぎゃーぎゃー騒ぐと品性が落ちますよ。

ワールドカップのようなシビアな戦いを勝ち上げるには、強固な土台、守備があってこそである。フランスはそのへん戦術が柔軟で、今大会最多14得点を誇るベルギーに守備に比重をかけて対応。ボール支配率こそ60%を許したが、シュートはフランスの半分以下の9本。特にベルギーのFWルカクには、バランが必ず体を寄せてシュート1本に抑えた。
そして隙あらばエンパべらを走らせてカウンターを狙った。フランスにカウンターがあるのがベルギーの攻撃の迫力を弱めたであろう。

たしかに守備主体の戦いは見るほうはつまらないが、勝つための方策である。現にランキングの低いロシアが活躍したのも守備主体に戦ったのが大きい。
堅守からのカウンターが威力を発揮した大会である。相手にボール支配を許してもゴールマウスにシュートが来なければ問題ない。味方ボールにした30秒、いや10秒で1点取ればいいじゃないか、という作戦を一流チームは持っている。
その最たるシーンは日本が負けたベルギーの3点目の取られ方であった。これを見てぼくは、「あの瞬間、選手も監督もカウンターを恐れたはずだ」と書いたが、実は違っていた。

西野監督の「全然予想していなかった」というコメントに唖然とし、次は電流が走るようにカウンター危機がわかる監督が必須と感じた。「全然予想していなかった」という人はほかにもいて、スポーツライター・金子達仁さんの記事を読んで、また驚き情けなくなった。
彼はベルギーが日本のセットプレーを阻止したシーンで、「わたしがGKだったら、相手のボールが胸に収まった瞬間、倒れ込んで試合を終わらせようとする。カウンターに出ようとは、夢にも思わない。」と述べている。
甘いのではないか。日本人というのはかくも甘い民族なのか。
準決勝でイングランドを延長戦の末くだしたクロアチアを見ていても、彼らはみな勝利に貪欲である。10秒、いや5秒あれば1点取ってやるという気概の塊である。
彼らを相手にして攻めていてもボールを取られた瞬間カウンターが来ると条件反射しないうようではワールドカップでは戦えないと思うべきである。

監督もスポーツライターも含めてまだ日本のサッカー文化は成熟していない。ぼくはそうサッカーは見ていない。その素人が、「あっ、ヤバい、カウンターが来る!」と思うシーンで何も感じないようでは、まだまだベスト8は突破できないだろう。
野球でもラグビーでもテニスでもいろいろなスポーツで、ヤバいと感じる場面は多々ある。一般的なヤバい局面を察知できる嗅覚を磨くことがサッカーにも通じる。

サッカー選手、監督はサッカーだけやっていてそれに習熟しようとしていて見えていないものがあるのではないか。もっと広くほかのスポーツや芸能を見て感じること。感じてヒント、サジェスチョンを受ける必要があるだろう。
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