「暑い」と「涼しい」という正反対の季語が夏にあるのはおもしろい。「暑い」を言わないで過ごせばいくぶん品格が上がるのではないかと思い立ち、逆の「涼しい」ほうを意識するためその秀句を『季語別鷹俳句集』に見てみることにした。
白樺の夜涼に珠の子を産めよ 星野一夫(S39.10)
「白樺の夜涼」はいかにも涼しそう。生まれてくる子も聡明そうであるが、「子を産めよ」を自分の妻に言っているとするとその行為は涼しいとはいえないな。
黒豹を見て少年の血が涼し 瓦 京一(S44.9)
黒豹はしなやかにして獰猛。少年でなくても涼しさが身を貫く。作者は自分を少年と見ている。
尿とりし夫に涼しき睡りくる 金井友江(S50.10)
優しい妻である。このとき波郷の<秋の暮溲瓶泉のこゑをなす>を思い出したとすれば、俳句は辛い看取りを慰めてくれる。
喪主の身のどこか浮きたる夜涼かな 藤原美峰(S52.7)
落ち着かない身分のひとつが喪主というやつ。どこかそわそわして不十分という思いで過ごす。次は完璧にやろうとは思わないところが喪主というものである。
父母の閨かたく閉ぢたる夜涼かな 松葉久美子(S58.12)
妙なところに興味を持ったものである。どのように閨の内容を想像していいか困るが、少女久美子には夜涼を感じたのである。長じた少女はいかに感じるか。
ぼんやりとゐて大望を涼しくす 藤田湘子(S61.8)
この句の意味を中学生に聞かれると答えようがなくて困る。大望はあるが必死になって頑張っているのではなく、涼しい風が通り過ぎるように思っている、とでも言えばいいのか。言葉全体がもたらすものを受け取ってほしい。
出羽涼しくるみのやうな婆とゐて 川見致世(S62.9)
山間の村に老婆がゐる。胡桃のようなとはどんなか……よもや胡桃の表面の皺を言っているのではなかろう。皺くちゃ婆ではないだろう。こりっと固まって実があるといった風情を作者は言いたいのだろう。
蓮華岳谺返しの距離涼し 後藤綾子(S63.10)
山肌の岩の表情が見えるようである。上目使いの作者が見えて涼しい。
町涼し中山道へ軒揃へ 小川和恵(H1.8)
山の茂りは書いてないが鬱蒼とした木々が見える。「軒揃へ」で影が濃く見えて自然に対して家屋の涼しさが呼応する。
松毬(まつぼくり)眼鏡をはづす涼しさに 角田睦美(H1.8)
上五で物をポンと出して何も言わないのがまず涼しい。要するにうまい句である。
晩涼の欅の下に死者を待つ 飯島晴子(H3.12)
アニミズム民族である日本人にはすっと入ってくる句。大國魂神社の欅もこう言いたくなり味わいがある。
山見えて涼しき二階半生過ぐ 岩永佐保(H6.12)
山は死と生の源泉みたいなもの。そこは季語の宝庫でもある。そういう山を見て自然や祖先とのつながりを意識した涼しさである。
川の名を涼しくこたへ宇陀乙女 林 喜久恵(H7.8)
宇陀は長谷寺のあるあたりか。川音が涼しかった記憶がある。「宇陀乙女」と下五においたのが洒落ている。
露涼し僧ひとりゐる鞍馬駅 前田寿子(H7.11)
「ひとり」とか「鞍馬駅」とかちょっと予定調和の感じがあるがまあ涼しいからいい。
涼しいをテーマにした句を見てきてこの間クーラーを入れずに節約できた。書いてしまうとどっと汗。クーラーを入れなきゃ。
写真:国分寺市民室内プールわきの林