
7月10日、岩国港15:30発の船に乗って南東へ26kmに位置する柱島(岩国市)へ行った。端島、黒島を経由しない直行便は16:08に柱島へ着いた。
堀岡旅館へ泊った。

久々の汲取り式便所。大きいのがボタッと落ちる音がなつかしい。夕食中、縞蚊にだいぶ刺されて痒いこと。
山道に小指ほどの太さのあるミミズが出てきたり、土間を大きな蟹が這っていたり、飢えた猫がみゃーみゃー寄ってきたり野趣に満ちた島である。
海光や蟹の這ひをる通し庭
女声上ぐ輪切にしたき大蚯蚓
島名の由来は、島内に多くの神社(柱)が祭られていることだったという。
かの大日本帝国海軍のエース戦艦陸奥が昭和18年6月8日、爆発を起こして沈没したのがこの島の南東5キロほどのところ。それを吉村昭の『陸奥爆沈』で知ったことがここへぼくを招いた。
重油や船の残骸、おびただしい数の遺体が柱島に漂着し騒然となったという。
海軍はこの不祥事を徹底的に隠蔽することにし、遺体収容ないし荼毘にかかわった島人を厳重に監視した。
生き残った海兵も半軟禁状態にして外部との接触を許さなかった。
ぼくにとって柱島は人柱という気がしてならないのだ。

人口は2000年国勢調査で282人というが島の人の話ではその半分くらいに減ったとか。
陸奥爆沈を実際に知る人はおらず親から伝え聞いている人ばかりである。
島の小中学校は廃校になっていて災害のさいの批難施設の役目しかない。
島人はみな島の外から来た人によく話しかける。64歳のぼくがいちばん若く感じられるような人口構成。
本土に行くには片道1830円の船賃がかかる。高いと思うのだが島人は月に何回か本土へ病院通いする。
月に一度無料で船に乗れるパスが出るそうだが厳しい。大日本帝国海軍が激しい演習に明け暮れた島はいまは過疎地最前線。複雑な思いにさせられる島である。
島内最高峰:金蔵山(きんぞうさん)標高290mからのながめ

金蔵山へ行く道の歯朶

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