
きのう待望の桑の実摘みに多摩川へ出かけた。初日は曇天がいい。のっけからかんかん照りはきつい。
自転車に踏台を積み俺の夏
まずは是政橋を渡ったところの木。ここは多摩市。ほぼ競争相手がおらず、いつ行ってもぼろぼろ実が零れている。難は少し小粒。
桑の実のぼろぼろ落つるまほらかな

15日でも採れたがまだ実の付き方がまだ固い。かなり地に零れたあたりから成熟度が増す。
ふだんから社交的な性格ではないが桑の実摘みをするといっそう人を遠ざけたくなる。毎年必ず後ろから話しかける暇人がいる。その内容は決まって「ジャムにするんですか」である。
答えは、
桑の実はジャムにしません手づから食ふ
一個一個手づから喰らへ桑苺
一個一個手づから喰らへ桑苺
である。桑の実は生で腐らぬうちに食うにかぎる。
話しかけるな桑の実が零れ落つ
と言いたいが我慢する。桑の実を摘むとき妻も恋人も親友もみんな不要で、ただただ桑の実と対したい。金も要らない。それを世間の人はわからない。
人はうるさかったが初日としてはこの木から1リットルを越す収穫があったのはめでたい。
ふたたび橋を渡って府中市へ戻り、下流へ1.5kmへ行く。

是政橋。右が多摩市、左が府中市
ここは府中市の桑の実採りの本場。桑の木が少なくとも10数本はある。草を分けて入ればさらに桑の木があるだろう。草に妨げられて誰も行かない未知の桑大樹もある。
競争者は多いがぼくは踏台を持っている。なぜみなさんは踏台を持って来ないのか。意欲が足りない。
踏台の上に爪立つ薄暑かな
桑の木は柳のように枝が枝垂れて幹を囲む。したがって1本いい木を見つけると1リットルは簡単に採ることができる。ここでもそうとう採れて合計2.4リットルほど収穫した。
今年自分が変ったなあと思ったのは、桑の実を採りながら一個も食わなかったこと。最初の木は羽虫が群れていて、彼らが顔にまつわりついてきた。それを吹き散らしながら採取した。それで水洗してからと思ったが次の木にはあまり虫がいなかった。
なのに一個もつままなかったのは信じがたいのである。俺は採りながら食う性格だったはずだ。どうしたのか。
桑の実を売る店のこと知らぬなり
桑の実を洗浄してあるお世話になっている令夫人に届けた。たいそう桑の実の好きな方で喜んだ。
国立の紀伊國屋に置いてないという。
桑の実という商品をぼくは知らない。完熟した黒いものの光沢はすばらしいがそれを感じるのは木に付いているときだけである。
摘むと同時に鮮度が急激に落ちる。家へ帰って洗浄してきれいになるが光沢はそうとう落ちる。
人にやろうとしても日をまたぐともう鮮度が落ちてあやうい。贈答に使うのは朝採りを夕方にならないうちに届けたいという代物である。
桑の実を置く店があるとしたら画期的な流通である。
きのうは自転車で30km走行した。くたくた。
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