
5月17日、多摩川河川敷で桑の実を摘んだとき、そこで夏草を刈り取る作業に遭遇した。
刈った草は乾いて枯色、まるで冬の風情になっていた。
なんと馬鹿げたことをするのか。
税金の無駄使いではないか。
無駄というより季語を刈り取る暴挙を白昼堂々としている。
ここには「夏草」があり、「茅花」があり、「青嵐」があり、蝶や飛蝗や甲虫がいる。探せば動植物などもっといろいろな季語が集まっている。
それを無残にも刈り取っている。げんに茅花の花穂が散乱していた。左岸の道を府中市は「風の道」と名付けているが、その風を端的に感じさせる季語が「茅花流し」である。
しかしその風を演出する「茅花」が生えていない。
作業の看板にはおおむね次のことが書かれている。
発注者:国土交通省関東地方整備局
堤防の除草及び維持管理作業を行っています
H30多摩川中流維持管理工事
平成31年3月31日まで
施工者:日産緑化株式会社

日産緑化株式会社に文句はない。上からの仕事を受注してこなしているにすぎない。問題は、国土交通省である。
河川敷のほぼ平らなところの除草に意味があるのか。除草と治水がどう関与するのか、わからない。
治水には岸がしっかりあればいい。護岸さえできていればいい。
なぜ夏草の繁茂する景色をそのまま鑑賞できないのか。ここはほったらかして置くことで言葉が発生する宝庫であるのに…
多摩川の北に荒川がありそれと並行するように新河岸川が流れている。
新河岸川の河川敷には多摩川以上に桑の木が生えていて桑の実をつける。それは凄いが同時に草の密生がすごく、ジャングルといっても過言ではなく、感動的な体感ができるところである。
100m進むのに5分かかる草の密集度。足の底がきちんと着地できず体がふわふわする。
草の中に何が棲むのかわからない。ダニ、シラミ、虫各種、蛇、鳥……もしかしたら四足哺乳類もいるかもしれぬ。
しかし、ここに国土交通省は手を入れようとしない。
それでいいと思う。大都会の中心をちょっと離れたところに手つかずのジャングルが存在するとは……その落差が人間を活性化する。
草木の生態に手を入れて人間の多数の美意識にかなうようにしつらえるという「きれい意識」そのものを見直していいのではなかろうか。
あるがままの自然なんてわれわれのまわりにないのであるから。
本来、多摩川はいま茅花の美しい季節


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