ぶどうの木            

      わたしはその枝

    
         川越の主の園から 

老人ホームで出会った婦人

2013-10-26 14:39:34 | 日記

姉の入っているホームへ10日に1度行くことにしています。

昼食が終わって間もない時間帯だったので、食堂のテーブルで姉は
穏やかなお一人の方と話していました。
私が近くに座ると、姉と話していたご婦人は「姉妹ですか」と、
声をかけて来られました。

その後、ご婦人は、「私も姉がおりますが、遠くにおりますの。
私はいつも姉のことをお祈りしていますし、姉は遠くに居ても
私のこといつもをお祈りしています。
だから心がつながっておりますの。」と話してくださいました。
私は「クリスチャンですか」と問いましたが、それには返事がなく、
「今日は婦人会の方が来ていますので、これから
お話があります。あなたもどうぞお出になってください」と
誘ってくださいました。

ご婦人が「もう時間なのにどうしてこちらに来ないのでしょう。」と
指差す方を見ると、そこにはホームのスッタフと外部から来た業者の方と
話していました。

婦人は言いました。「今日は駄目なようですが、いつも教会の方は
来ます。今度出てくださいね。」

私はうなずいて、姉とその場をはなれました。

私の姉も他の人から見れば、何処も変ではありません。
今日私に声をかけてくださったご婦人も、おしゃれをした静かな方です。

きっとお元気な頃は教会の中でよい信仰生活をしていらっしゃた方なのでしょう。

主のお守りと平安があるように、祈る気持ちです。

 

       

 


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1 コメント

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Unknown (ぶんな)
2013-10-26 20:39:40
信徒の方で、「私はもう認知症がはいっているのよ」と御自分でおっしゃるかたがいます。確かにそれはあります。しかし、この方が集会の席上におられると、その明るさ、信頼しきった心、明るい笑顔に恵まれるのです。主と共に在る、たとえ肉体はどうであれ、魂に主がおられることが周囲に伝わってくる、わたしもいつもそれを感じております。さまざまなケースがあるかと思いますが、結局のところ、「見よ、我は世の終わりまで汝らとともにあるなり」との聖書のことばは、まことであると思っています。
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