ぶどうの木            

      わたしはその枝

    
         川越の主の園から 

クリスマスに

2008-12-25 21:27:53 | イスラエル

ラジオのニュースで、12月25日にクリスマスを祝ってイスラエルの降誕教会で礼拝が行われたと報じていました。降誕教会には限られた人しか入れないようです。

この国と周辺の国々に1日も早く平和が来るといいですね。昔イスラエルに行ったころは、イスラエルが良くて、アラブが悪いと単純に思っていました。またイスラエルのガイドさんもそのように説明してくれたのです。もう20年以上前ですが、その頃からイスラエルの入植者の住居を建設していました。私たちはその所をバスで見学したのを覚えています。

クリスマスの頃になるとイスラエルを旅行したことを懐かしく思い出すと共に、あの地域に平和が来るよう祈らずにはおられません。

↓たぶんこの教会が降誕教会の入り口だったと思いますが・・・何分にも昔の事ですから定かではありませんが・・・

 

↓ここはレバノンとの国境です。国境に「逃れの町」と言うスペースがありました。
 今は如何でしょう。


 


棕櫚の日曜日

2007-04-01 20:00:21 | イスラエル


   今日は棕櫚の日曜日です。来週はイースター、そんな事を覚えて
   イスラエルの写真から選びました。

   オリーブの木々の間から岩のドームが見えます。この辺りはイエス様が
   最後の祈りをしたゲッセマネの園だったと思います。記憶はあまり確か
   でありませんが。

    ↓ ヴィア・ドロロサ(悲しみの道)には、14のステーションがあります。
       第3ステーションは最初に倒れた所、第5はキレネ人シモンが
       イエスに変わって十字架を無理に担がされた所。
       これは第3か第5か分かりませんが・・・



            ↓からしだねの木(種は小さな小さなけしの実の様でした。)


エルサレム

2006-09-26 19:33:08 | イスラエル

        9月23日のテレビで「34億人の聖都エルサレム」を見ました。

        私のエルサレムの写真を見ましたが、テレビの中にあった
       墳墓教会は、その建物の印象はあまりはっきりありません。
       嘆きの壁の辺りは、よく覚えています。

             ↓ここはよく写真で見る嘆きの壁ではありませんが、そこに至る
       回廊のような所で、多くの宗教人といわれる人が祈っていました。

↓ここは女性の方の嘆きの壁です。見えますか?
岩の継ぎ目に何か書いた紙が小さくたたんで
差し込んであります。

↓この女性も嘆きの壁の隅で祈祷書を呼んで
お祈りしています。

 


復活祭

2006-04-15 19:23:28 | イスラエル

             明日はイースター(復活祭)です。

↑イエス様が十字架を背負って歩いた道
ヴィア・ドロロサ(悲しみの道)
私たちはガイドさん説明を聞いてからこの道を歩きました。

ヴィア・ドロロサの第3ステーション(イエスは十字架の重みに倒れる)
2005.9.25にヴィア・ドロロサの第4ステーションが載せてあります。

復活の日
 ルカによる福音書24:1~3

↑イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、
だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。ヨハネ19:42

↑お墓の中に入ったところに、上のように書かれてありました。
「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」マルコ16:6

もう1度イスラエルに旅行をしたいな~ 
そうしたら
もっといい写真を撮ってきますね。


今週は受難週です

2006-04-13 19:38:32 | イスラエル

       今週は受難週です。
      今日は、洗足木曜日、明日は、受難日、今度の日曜日はイースター
      古いイスラエルの写真と3年前に行ったスペインの写真です。

↑イエスが12弟子と共に最期の晩餐をした二階座敷
[イスラエル]
(マルコによる福音書14:13~15)

 



↑スペインのサグラダ.ファミリア聖堂の
ユダの接吻
(マタイによる福音書14:44~45)

↑十字架にかかったイエス様
左手に居るのはマリアさんと女たち

外国旅行ってこんな素敵なものに出会えるから良いですね。
どっか外国旅行ががしたい。

でも今は、夫が歩けないから当分ダメです。

 

 

 


カナのフランシスコ教会

2005-12-09 21:08:22 | イスラエル

クリスマス近い日に、中近東のの平和を祈りつつこんな写真はいかがでしょう。
イスラエルを旅行をした頃の私は、アラブの人々に偏見を持っていたように思います。
テロリストの怖い人々と考えて、一方的にイスラエルが良くって、アラブが悪いと思っていました。
イスラエル人のドライバーさんはアラブ人の多い地区には行きたがりませんでした。

 これはカナのフランシスコ教会です。
教会に飾られている「水かめ」と「水をぶどう酒に変えるイエス」

「聖書 ヨハネよる福音書2章1~3節」
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。 イエスも、
その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、
「ぶどう酒がなくなりました」と言った。