幸せの雲と整体師  

呉市広の整体院 木村です。
(腰痛、肩こり、生理痛、不妊症など)
とびしま街道やランチなどの日記です

松山といえば萬翠荘と愚陀仏庵

2009-06-09 06:49:03 | 四国
何度も松山に来たのですが、いってない観光地がありました。
そして航路の廃止で今のうちにと行ってきましたよ。

ここはね、「もちろんここには行かれてますよね」と松山の人は思われていたはずです。
そのうちそのうち、と思ってるといけないものですよ。
たまたま月曜日が出張整体の日にあたると休みだったりね。

城山のなだらかな坂を歩いていくと句碑があります。
地元の人はそうでもないのかなぁ、僕は句碑を見つけるたびにわくわくします。
石のほうは完全に読めないと思ってるので先に横にたっている解説をよみます。

柳原極堂というひとの句です。

城山や筍のびし垣の上   
たけのこが伸びてる様子を詠んだのですね。

正岡子規の句を普及するため、ほととぎすを発刊した人です。



この立派な建物が萬翠壮(ばんすいそう)
大将11年の建物です。松山藩主の子孫が伯爵になりたてたものだそうです。
各界の名士があつまる最高の社交場と書いています。
なるほど~、この時代の日本は世界に向けて勢いがあったのでしょうね。




フランス風の建物があると思えば、おやっ?純和風
井戸ですよ。



説明文は松山城築城の頃ほられたとありますが、後半の文章、
夏目漱石のぼっちゃんの解説をしている。この話がでると、おやおや、こんなところにまでと、
やんちゃな坊ちゃんの姿を想像してしまいそうなほのぼのとした松山をイメージしてしまいますね。



立派だ。どうも想像のなかで出てくる人は日本人ではありません。



建築物としてこんな角度からも写してみました。



萬翠壮の裏の山の階段をすこしばかり登ると、ああ、やっと来ましたよ。
愚陀仏庵。夏目漱石が下宿していた先です。そこに50日ほど正岡子規が
ころがりこんで一緒に暮らしたといいます。
もとあった場所はここではなくて移築したようです。

畳があってあとはなんにもない。これ、落ち着きますよね。
そして同士があつまってる様子は、いいなぁ、学生時代を思い出します。

ここは次の大河ドラマ、坂の上の雲にも登場するはずですよ。おさえといてね。



夏目漱石は、正岡子規とであわなかったら世に出ていなかったかもしれないし、
子規という人、坂の上の雲に出てくる軍人の秋山兄弟とのかかわりにしても
なんと存在の大きな人なのでしょうか。



正岡子規が大好きな俳句さんがおすすめしていたのは仰臥浪漫という本です。
読んでみよう。


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9 コメント

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ハイカラな (ohisama)
2009-06-09 17:39:51
建物ですね。
伯爵と洋館、ぴったり合いますね。
井戸が和風でも、この建物に違和感がない感じがします。
当時の上流階級の生活がしのばれますね。
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Unknown (てっち)
2009-06-09 21:44:30
歴史の深い町なんですねぇ。
ますます松山へ行きたくなりましたぁ!^^
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そうですね (天空)
2009-06-09 21:47:07
正岡子規も、彼を取り巻く人たちも、みんな大きいですね。もう1回、「坂の上の雲」、読もうかな。
司馬さんの言うように、坂の上の雲を見ながら高らかな気持ちで歩いていきたいですね。
ここにも良い整体があります。
返信する
Unknown (JJ太郎)
2009-06-09 23:55:30
こんばんは。

萬翠壮・・・あ、これは久松別邸じゃないですかね。大正11年に当時の皇太子殿下(昭和天皇)が宿泊されたとか。当時松山に居た私の祖父の手記に書いてありました。

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Unknown (JJ太郎)
2009-06-09 23:56:39
わすれるところでした。

広島Blogクリック!
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Unknown (金星)
2009-06-10 08:41:22
>てっちさん
車を渡さなければ6月中が便利なのですが、島並み経由で今治、そこから松山に行くという方法もありですね。
のんびり温泉というのもいいですよ。
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Unknown (金星)
2009-06-10 08:42:54
>天空さん
ミュージアムはもったいないですね。是非たくさんの人に見てほしいところでした。小説の文章がいきていましたよ。
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Unknown (金星)
2009-06-10 08:44:06
>JJ太郎さん
こんばんは。そうです!たしかに大正11年とありましたよ。皇族も必ず立ち寄ったといいます。
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Unknown (金星)
2009-06-10 08:45:28
>ohisamaさん
お城が町のど真ん中にあってその周辺を取り巻くように町ができているのですが、近い距離でなかなかみどころは多い町です。
俳句がさかんになったころのことが多いです。
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