Hobo's File by KINO

道の向こうへ歩いて行けば 違った空が見えてくるんです

空の下の違った風景を見ていたら 色々感ずることもあるんです

長~いお付き合い

2020-08-04 16:44:00 | 映画
facebookのコピペでの手抜きにて失礼致します。

公開が今週の金曜迄なので新宿k's cinemaへ赴き「zk/頭脳警察50 未来への鼓動」を観る。
"落ち葉のささやき"等が休憩中に流れた後で本編開始。知ったエピソードも多いが、
ロシアW杯後の2018年8月にクリミナのヤルタでライヴを演り"7月のムスターファ"を
歌っていたのは知らなかった。PANTAとTOSHIが揃ってこその頭脳警察。
何度となく集合・離散を繰り返して来たが生きている限りは続くことなのか。
"万物流転"はタイトルを含め重要な曲だと思ってます。
エンドロールで新曲"絶景かな"が流れる辺りまだまだ進行中。

「木下君、頭脳警察って知ってる?」「おっ、PANTAね」。
1975年秋の日の同級生M松君との会話。「オレ、レコード欲しいんだけど売ってないんだよ」
「この間、茶m塚のレコード屋で見たよ」。放課後に二人でチャリを飛ばして店へ向かい、
M松は「悪たれ小僧」ともう1枚のLPを買った。
M松とは高2の時に同級生になり、彼は音楽に詳しく色々と知らない奴らを教えてくれた。

PANTAはNHKラジオ「若いこだま」を聴いて知っていたが、そんな訳で1976年4月の
日比谷野音のフェスに頭脳警察解散後のソロでPANTAが出演すると聞き
M松と出かけたのである。
近田春夫のハルヲフォンがバックを務めたが、アンコールに応えて
「こいつら下手くそだからもうできる曲ないんだよ」みたいな事を言って同じ曲を演った。
カッコ良かったなPANTA。
オープニングがデビュー前の柳ジョージ&レイニーウッドで、サンハウス、ムーンライダーズ、
ハルヲフォン、コスモス・ファクトリー、帰国が遅くれた内田裕也の代わりに
ムッシュかまやつが出て、トリは前年にキャロルを解散していた内海利勝だったと
記憶している。なんとも時代を感じさせます。
帰りに数寄屋橋のハンターに寄って、M松はジョージ・ハリスンの
「バングラデシュ・コンサート」の中古LPを買った。
ワタシと違って、M松は何故かいつも金を持っていた(笑)。
そのすぐ後にPANTAの1stが出たはず。"マーラーズパーラー"の歌詞は小僧には
まだまだ難解だった(汗)。平田国二郎がプロデュースするフライングドッグ・レーベルの
硬派なバンドが好きだった。

その後もPANTAは結構聴き続けていた。世間を騒がした「KISS」のスウィート路線を
大好きだったレーベル・メイトのT-BIRDをバックに行った1981年の郵貯ホールでのLIVEも
忘れ難い。キーボードの中山努は長くPANTAのサメ[トを務めてくれた。
すでに石川セリに中村治雄名義で"ムーンライト・サーファー"を提供するなど
ャbプな表現の実験は行なっていたはず。厚生年金でのセリのコンサートのアンコールで
井上陽水とPANTAが呼び込まれ、"ムーンライト・サーファー"のコーラスを付けたのも遠い日だ。

数年前に下北沢で再びスウィート路線のLIVEを観れた事にほくそ笑んだものです。
心優しく純な人。但し、今の風貌はイマイチ受け入れ難いんだよな(笑)。
それではユニオンに寄って帰ります。


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