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謎の遺跡「払田柵」から探る秋田の可能性
H20.12.13 於:秋田大学教育文化学部
講師:秋田県教育庁払田柵遺跡調査事務所 主任学芸員 高橋 学 氏)
【払田柵の建設時期】 801年
【建設の狙い】
本来の狙い:国家プロジェクトとして進められる「軍事的な場所」(出羽の国の役所)
違う見方:三重の柵は他に類を見ない特徴的な様式(外柵という)。しかも三重目の外柵は、川の影響で途中柵が途切れるなど、理に合わない点もあり、蝦夷※対策ということも指摘できる。
払田柵の特徴:奥羽山脈から望むに、仙北平野における「ランドマーク的」に見えることもあり、京への陸上の物流拠点と思われる。(一方、海の物流(北前舟)拠点が秋田城といえる。)
【払田柵の特徴】
鍛冶工房群がある…9世紀頃、稲作中心を生業としていたこの地域にも、915年に発生した「十和田山噴火」の影響(灰雲)が出ている、。その結果、一時的に稲作から製鉄業が広まったものと思われる。払田柵での製鉄技術は、その後米代川を介して北上。南秋地域(五城目)へ鍛冶の技術が広まった。
H20.12.13 於:秋田大学教育文化学部
講師:秋田県教育庁払田柵遺跡調査事務所 主任学芸員 高橋 学 氏)
【払田柵の建設時期】 801年
【建設の狙い】
本来の狙い:国家プロジェクトとして進められる「軍事的な場所」(出羽の国の役所)
違う見方:三重の柵は他に類を見ない特徴的な様式(外柵という)。しかも三重目の外柵は、川の影響で途中柵が途切れるなど、理に合わない点もあり、蝦夷※対策ということも指摘できる。
払田柵の特徴:奥羽山脈から望むに、仙北平野における「ランドマーク的」に見えることもあり、京への陸上の物流拠点と思われる。(一方、海の物流(北前舟)拠点が秋田城といえる。)
【払田柵の特徴】
鍛冶工房群がある…9世紀頃、稲作中心を生業としていたこの地域にも、915年に発生した「十和田山噴火」の影響(灰雲)が出ている、。その結果、一時的に稲作から製鉄業が広まったものと思われる。払田柵での製鉄技術は、その後米代川を介して北上。南秋地域(五城目)へ鍛冶の技術が広まった。
堀田柵は、厳重な三重の柵といい、柵の高さ、頑丈さ、見張り櫓の規模といい、中央に売り飛ばす奴隷の収容所だったのではないしょうか。すなわち「京への陸上の物流拠点\
そんなこと記録に残せませんからね。
古代史の闇の部分の遺跡でしょうか
ねこアロマ様ほどの知識は持ち合わせておらず、コメントをいただけたことで古代史の深さとともにミステリアスな点も感じることができました。
コメント、どうもありがとうございます。