秋田のキムカズが贈る気まぐれブログ

秋田に住んでるキムカズが気まぐれなままに書き綴るブログ。さーて、きちんと更新できるかな??

2/22 秋田美酒「福禄寿」 酒蔵開放

2014-02-22 20:24:15 | Weblog
2月22日(日)
今日は五城目町にある「福禄寿」の酒蔵開放へ。
ここ五城目町は、そうです「朝市」で有名な町なのです。
 

それにしても、今冬、県内酒蔵開放にはまりまくってる自分、キムカズ。
これで5件目のお邪魔となります。(汗)
  

初代渡邊彦兵衛が1688年(元禄元年)に当地で酒作りを始めました。
「福」は子宝に恵まれ、子々孫々に受け継がれる財「禄」をなし、
不老長寿で一家安泰、繁栄の「寿」が、銘柄「福禄寿」の由来。
当社の思いに感銘します。
 

粕汁の振る舞いがされていました。
当然、ありがたく頂戴。
冷え切った身体に浸み込むように粕汁の美味しさが感じれました。
 

蔵に入ると、ろうそくが灯されている内部。
電気がまだなかった時代はもちろんろうそくで灯りを確保します。
ここ福禄寿には、当時のまま燭台が残っています。
  

蔵の内部をもう少し進むと・・・
酒搾り実演のコーナーに到着。
ここでは昔ながらの搾り方で、搾りたてのお酒を試飲できます。
口当たり優しく、美味しくて、何度いただいただろうか。。。汗
  

ところで、この搾る機械、いまは使っていないはずで、今日の酒蔵開放定でお披露目されたもののようです。
もしや年代ものかな?と思って、社員さんに聞いてみました。
「んだ。5年くらい前に、蔵の整理してたら出てきたんだ。」とのこと。
いい物が出てきたものです。貴重な産業資源。大事にしたいものです。
 

さらに進むと、即売コーナーに。
キムカズもしっかり買い込みましたよ。


今日も楽しく酒蔵見学を終えました。
空いたお腹を満たすため、向かった先はバスターミナル近くの「うのき食堂」さん。
ここ五城目町は中華そば、特に「天ぷら中華」が地ラーメン的に密かな人気があるのです。
当然、キムカズもその天ぷら中華「天中」を大盛りでいただきました。
美味しかった~~!
  

さていよいよ帰路。
バスターミナルから八郎潟駅へ向かいます。
駅前の「畠栄菓子舗」で有名なあんゴマ餅を買い求め電車で帰ろうかと。
  

ここで、駅名の由来を発見。
開業以来、3度も駅名が変わった珍しい駅。
開業当時、一日市村にありながら「五城目駅」と命名され、
その後、実情に即して「一日市駅」となり、
町村合併と八郎潟干拓の時流に合わせるように「八郎潟駅」となった。
勉強になります。


駅に入り、切符を買い求め、ふと電光掲示板に目をやると、
”秋田駅行きは、ただいま14分程の遅れで運転しています。”
残念。電車が遅れておりました。
この時期は、当然と思って受け入れましょう。
  

その後、電車も無事到着し、帰宅することができました。
そして、今日もキムカズのデイバッグは、福禄寿で買い求めた品々でパンパンです。
それでは、今日のお買い求め商品のご紹介。
左上から時計回りに、「酒かす」「純米酒 しぼりたて 限定酒」「畠栄のあんごま餅」、そして最後に「粕漬け」です。

今日の晩ご飯は、お酒の肴に粕漬けをいただき、味噌汁に酒かすを少々混ぜていただきました。
いつも以上に、美味しい晩ご飯を楽しむことができました。
 


2/15 酒は天下の太平山 酒蔵開放は超満員!

2014-02-15 22:26:21 | Weblog
2月15日(土)
酒は天下の太平山でおなじみの小玉醸造さんの酒蔵開放に行ってきました。
  

「リキノスケ走る」のポスターも貼ってて嬉しくなったりして。


場内に入るとこんな感じ。すごい人です。
社員さんに聞いてみたら「開場からすごい人だった。過去最高の来場者数じゃないかな。」。
キムカズも過去4年連続でお邪魔していますが、間違いなく年々賑わいが増幅しています。
   

今日の蔵開きの楽しみの一つが”ふんだんな試飲”ができること。
味噌汁も楽しめますし、蔵出しの新酒も。
それにしても飲んだ呑んだ。。。
   

この人だかりの大きな原因がこちら。
太平山の蔵開き恒例「味噌詰め放題」コーナー。
2000円のお買い物をすると、500円でこのイベントに参加できます。
チャレンジしている人の表情を見るだけで、このイベントの楽しさ・醍醐味を感じることができます。
   

キムカズもこの「味噌詰め放題」にチャレンジするため、
並ぶこと約1時間。ようやくチャレンジの開始です。
   

結果は、私は5.54kg。
家内が二回やって5.94kgと5.16kg。
まあまあでしょう。
  

試飲も十分に楽しみ、味噌詰め放題も満喫し、お酒もたっぷり買い込んだ。
先週の湯沢の酒蔵開放巡りに続いて、デイバックはパンパンです。
 

ちょっと遅くなってからのお昼は万松さん。
ちゃんぽんで地元では大人気の当店。毎日たくさんのお客さんでにぎわっている繁盛店です。
私は「味噌ちゃんぽん」、家内は「塩ちゃんぽん」をオーダー。
美味しかった~~~。
   

食後のデザートを求めてブルーメッセあきたへ。
ランフェア開催中できれいにデコレーションされている館内でした。
とちおとめ苺ソフトクリームでお腹をクールダウン。
  

最後に。はい、こちらが今日のお求め品大集合。
左から「焼ねぎ秋田味噌」、「槽口」、「にごり蔵酒」、「純米にごり生」。
そして背景に鎮座するのが詰め放題でゲットした味噌たち。
特に、お酒「槽口」と「にごり蔵酒」生酒なので、アルコール度数19度と高め。
この日を逃したらなかなか手に入れることのできない一品なのでした。



2/8 湯沢市「犬っこまつり」からの「酒蔵開放 両関~爛漫~福小町」

2014-02-08 23:19:21 | Weblog
2月8日(土)
湯沢市で開催されている「犬っこまつり」へ行ってきました。


電車でゆざわに到着。
  

街なかのあちこちで雪像が設置されています。
    

「犬っこまつり」の盛り上がりの中、一目散に向かったのがこちら。
立派な旧家らしき建物。
  

そう、一目散に向かったのは「両関酒造」です。
今日は犬っこまつりとともに、湯沢市内の3つの酒蔵で「酒蔵開放」なるイベントが開催されているから。
3箇所の酒蔵を今日一日で観て回れるか?!
という思いを抱きながらの1件目のスタートです。


蔵の中にお邪魔すると酒造りの道具が陳列されていたり、
サービスでお酒を試飲させてくれたり、
本日限定のお酒が量り売りされてたり。
もちろん、買っちゃいました。
   

古い消防ポンプ車も飾られています。
業歴の長さを自然に理解することができます。
 

さて、両関さんで酒蔵開放を楽しんだ後は、
天井にミルフィーユ状にこんもりと積まれた雪を眺めながら、


次にお邪魔したのが「秋田銘醸株式会社」。
こちらの会社こそ”美酒爛漫”でおなじみの「爛漫」の酒蔵。
 

こちらでも試飲を楽します。
新米搾りたて原酒。度数18度といつも飲む日本酒より少々強い。
  

「爛漫」の酒蔵見学は以前も来たこともあったので、
そそくさと次なる酒蔵へ。
やはりミルフィーユ状に積まれた雪の塊を横目に、商店街を通って、
 

到着したのが「福小町」。
   

古き資源を大切に残していました。
ここで火をおこし、お米を蒸していたようです。
 

もちろん、ここでも試飲。
もうこの段階で相当の酔いがまわってました。
  

3つの酒蔵開放を満喫した結果、遅めの昼食に。
商店街の中にある「長寿庵」さんにて。しょうゆラーメン。


3つの酒蔵を巡って、買い込んだお酒をデイバックいっぱいに詰めて、
帰路につくのでした。
 

ちなみに、そのデイバックに入っていた今日の成果品。
左から「両関 限定酒 銀紋」、「爛漫 大吟醸原酒」、「福小町 純米吟醸 無圧くみ出し」。
その前のワンカップたちは、各蔵でお土産でいただいたもの。


それぞれの蔵でお聞きするお酒のお話し。
興味深くてとっても楽しかったです。
お酒の奥の深さを感じる一日だったのでした。


2/2 石川理紀之助ものがたり「ミュージカル リキノスケ、走る」

2014-02-02 15:59:22 | Weblog
2月2日(日)
石川理紀之助ものがたり「ミュージカル リキノスケ、走る」を観てきました。



場所は、ご存知「たざわこ芸術村「わらび座」」。
小劇場での開演でした。
 

会場に入ったらもう満員状態。
予想外にたくさんのお客さんがいてびっくりです。


「石川理紀之助翁」とは・・・
明治の老農、農村指導者。
1872年(明治5年)秋田県勧業係に任命され在職10年、
この間農事の改良をはかるとともに、観農議会、種苗交換会などを組織し、
いまも続いている。
1882年(明治15年)その当時冷害が重なり、
借金にあえいでいた山田村救済のため帰村し、更生計画を実践して立て直しに成功、
広く世に知られることとなりました。
その際、村人に提案した内容は「質のいい肥料を作り、これまでの倍の量を田んぼに施す。
米の収量は確実に増えるので、増加した分を借金の返済にあてる。
無駄使いをやめ、必要なものは共同で買う。
副業などにも精を出し、仲間はずれが出ないよう、助け合い励まし合う。」
というものでした。

毎朝3時に理紀之助自身が掛け板を打って村人を起こし、
農事に専念させ、村人の努力と協力によって、7年掛かるといわれた借金を5年で完済しました。
その時彼が残した言葉で
『寝て居て人を起こすこと勿れ』
というものがあり「他人を起こして働かせているのに、
自分が何もせず寝ていてはいけない。他人に指図しているだけでは誰もついては来ない。」
という意味で、この名言は今現在もよく知られています。
 

さて、今回のミュージカルのあらすじは・・・
1863年、奈良家を飛び出した19歳の理紀之助は
雄勝郡小野村の高橋正作に出会い、
その実践や考え方・貧民救済の思想に心打たれる。
【よく観て、試してみて、考える】ことの大切を学ぶ。

山田村の石川家に養子に入り、志和子と結婚。
39歳の時、東北が冷害に見舞われ、農民を救えるのは農民だと県庁を辞職。
貧民救済と農家経営の実践に専念、山田村を復興させる。

そんな父に反発した長男・民之助が家出。
理紀之助は必死に探すが、国後で腸チフスで病死し、弔いもされず、無残にも石油缶に放り込まれていた遺体と対面する。
人様のためにと貧民救済に没頭してきたが、その結果、わが子の命を奪ってしまった。
なぜ息子の声に耳を傾けなかったのか・・・。
息子の死を乗り越え、理紀之助は農民が自立して生活できる道を求め、走り続ける。

1912年、68歳になった理紀之助は依頼されて九升田で救済事業を始めるが、人々から反発が起こる。
もう自分のやり方は古いのか。理紀之助が思い悩む時、事件が起こる。

そして、理紀之助の晩年。
彼が語ったひと言が彼の人生をみごとに言い表しているようで。。。
「世にまだ、生まれぬ人の耳にまで 響き届けよ、掛け板の音」
「歌袋 一つたづさえ いでたたん 玉も黄金も 身にもたずして」

詳しくは、ぜひ、劇場で体感いただきたい。
とても面白く、感動的な「ミュージカル リキノスケ、走る」でした。