11月25日は「憂国忌」。小説家・三島由紀夫の忌日。1970(昭和45)年、三島由紀夫が、自ら主催する「楯の会」のメンバー4人と共に東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で総監を人質にとって本館前に自衛官1000人を集合させ、自衛隊の決起を訴える演説を10分間行った。その後総監室で楯の会会員の森田必勝とともに割腹自殺した。監督・主演した映画『憂国』に因み、毎年「憂国忌」が営まれている。
以前、僕の会社の役員をしてくださっていたS氏は、一時期自衛隊に所属しており、本館前の1000人の一人であった。三島に対する野次・怒号に彼は、涙があふれることを押さえられなかったという。「盾の会」の心情もある程度、理解していた彼は、留める仲間がいなければ、自分も駆けつけていたかもしれないと回顧する。
生前の三島に僕は直接会ってはいない。どちらかというと、左翼系であった高校生の僕は、その日その報道に慟哭したクラスメイトが、ビラを撒くのを手伝った。翌日から、彼は、「幻の盾の会」を追い求める右翼少年に変身していった。
以前、僕の会社の役員をしてくださっていたS氏は、一時期自衛隊に所属しており、本館前の1000人の一人であった。三島に対する野次・怒号に彼は、涙があふれることを押さえられなかったという。「盾の会」の心情もある程度、理解していた彼は、留める仲間がいなければ、自分も駆けつけていたかもしれないと回顧する。
生前の三島に僕は直接会ってはいない。どちらかというと、左翼系であった高校生の僕は、その日その報道に慟哭したクラスメイトが、ビラを撒くのを手伝った。翌日から、彼は、「幻の盾の会」を追い求める右翼少年に変身していった。
どこかの銭湯でお会いしましたね?
ところで、湯舟に浮かびホットした時にたち現れてくる「憂国」の想いは私一人でもないのかもしれませんね。
湯冷めをしないうちにお休みなさい。
日教組の父を持ち、本名の「和雄」は、68年のエンタープライズ入港で騒がれている時に生まれたため、父親が「久雄」であるため、“平和の英雄”という凄いところから付けられています。
イデオロギーの時代は、社会党を応援していました。
「消費税」の頃から疑問を持ち始め、僕は消費税導入賛成派でした。今では、社会党は大嫌いな政党です。
今でも、どちらかと言うと左寄りですが、昭和維新のため立ち上がった青年将校や左翼知識人の言葉の暴力に対して、“肉体言語”を使うと「朝ナマ」で言っていた行動派右翼の心情には、共鳴するものがあります。沢木耕太郎の浅沼書記長を刺殺した山口少年の本も読んでいます。
三島由紀夫に関して言えば、新潮社の「フォーカス」で刎ねられた後の首の写真(おそらく警察のリーク)を掲載していましたが、自分の会社の文庫で作品を出版しているのにもかかわらず、よくそういうことが出来るなあと憤りを今でも感じています。
「フォーカス」という雑誌は、潰れて当然の雑誌ですし、あんな雑誌を平気で買っている人にも高校生だった頃、ムカついていました。
表現の自由とは、公共の雑誌等が何を報道してもいいというのと全く違うと考えています。
尊敬する三島由紀夫さんの事を不適切な表現で表した事に対して、傷つけたのなら謝ります。
「春の雪」、良かったですよ^^
世の中、右傾化していますが、僕は、僕の立場で頑張ります。
なにが、右で、なにが左か。なにが革新で、なにが保守か。とてもわかりにくい時代です。
「右傾化」というよりは「新ロマン主義」みたいなところで、「不満」が「小泉改革」へと、傾斜しているように思います。
「トグサ」は、甲殻機動隊ですか?
かれのように、冷静な判断ができるかどうかですね。
ながされずに、自分の立場を幅広い視点から、考察してください。
あまり難しい話題は取り上げていませんが、僕のブログにも良ければコメントください^^。